市民と弁護士が行っている憲法学習会「terra cafe kenpou」。
今夜は古賀稔章さん(「障がい者援護会でんくる」元代表)と入田幸一さんに【障がい者を取り巻く状況】についてお話しいただきました。
20名参加。
昭和40年代、自分たちが社会に出ていけない、どうしようか。
最初は同好会のような形で集まり始めた。
当時は障害者が車椅子で街に出ていけるという風潮ではなかった。
歩ける脳死麻痺者が多かったが、外に出て行くと嫌がらせを受ける事も多く、自由に街に出ていける雰囲気ではなかった。
自分で身の回りのことができないと施設も受け入れなかった。
施設も養護学校にもいけない脳死麻痺者も多かった。
17歳の時(昭和49年頃)、ハラハラドキドキしながらバスに乗って集まりに参加した。「自分がバスになんか乗って良いんだろうか」と。
1970年(昭和45年)、横浜市で起きた重症児殺しを契機に、それまで社会のあらゆる場で排除、抑圧されていた障害者が立ち上がった。青い芝の会。
当時は、連鎖反応的に、重症児を抱える母子の無理心中事件が相次いでいた。
当時は脳性麻痺者の冤罪事件や、脳性麻痺者の運転免許取得が認められない事件など、司法の場でも脳性麻痺者に不利な戦いが続いていた。
福岡でも、福大や西南、九大などの大学生を中心に運動が盛り上がった。
黙って見ているだけでなく、自分たちの生きる権利を認めさせよう。
重症児を殺さざるを得なかった母親に対する同情(減刑嘆願運動など)は集まるが、殺された子どもの側の視点が乏しかった。
青い芝の会は、殺される子どもの側に立って、母親の会と衝突していった。
自分たちの命は周りで決められるのか。
社会に出たら人様に迷惑をかけるから施設をもっと作ってもらってその中に入れてもらった方がいいんだ。
社会に出ることは非常識なのか?
バスに乗ろうとしたら乗車拒否。
「うちは車椅子で入れる設備じゃないので」といって入店を拒否される。
脳性麻痺者は施設にいるのが当たり前、外に出るなという風潮。
施設のスタッフでさえ「あんたたちに権利なんてあるもんね」と。
自分で服も着れないんだったら施設に入れない。
この衝突が障害者運動発展のきっかけとなった。
嫌だということをちゃんと言っていこう。
何で脳性麻痺だったら生きてちゃいけないの。何で存在否定されなきゃいけないの。
裁判闘争や教育委員会への要請。学校に行きたい。
殺されるのが幸せか。
わらわれに生存権はないのか。
一方的に勝手に決められることを受け入れなきゃいけないのか。
親子心中は他人事じゃない。
食べたい物、着たい物も勝手に決められて、施設のスタッフに気に入られるように過ごし、そんな生活を強いられることへの抵抗。
社会に出て生活することは厳しいし、歯痒いことや辛いこともあるけど、みんなで盛り上がった。
穂波町から天神に行って街頭宣伝をしている中で、大学生や支えてくれる市民と出会った。
命がかかっている運動だったけど、仲間たちに励まされた。
新幹線に乗って大阪にも行ったが、人が多く、みんな急いでいて、こんな中で僕らはやっていけるんだろうかと。
銭湯に入ると、みんな出て行ってしまう。病気がうつると思っているのだろうか。脳性麻痺者お断りという張り紙を出す店もあった。
自分たちの戦いが新聞に取り上げられたが、その見出しは「脳性麻痺者に愛の手を」みたいな戦いの本質とはかけ離れたものだった。
社会が脳性麻痺者を受け入れない中、親たちも悩んでいたと思うが。
当時は行政も司法もマスコミも親にばかり同情的だった。
みんなで始発のバスに乗った。すると、運転手は運転を拒否してバスを出さなかった。
障害者のバスジャックだと叩かれた。客としてちゃんと扱って欲しいだけなのに。
そこで、運輸省に質問を出した。
何で自分たちが否定されなければならないのか学習する中で、優生保護法「不良な子孫の出生を防止」、優生保護法一部改定案「胎児が、重度の精神または身体の障害の原因となる疾病、または欠陥を有している恐れが著しいと認められるもの」の問題(障害者抹殺の思想)にぶつかった。障害者は、この世にあってはならない存在なのか。
自分たちを存在を否定されるのではなく、きちんと存在を認めさせる。
優勢保護という考え方。人に優劣をつけ、人としての存在を認めない考え方。
スロープが付いていても、車椅子が上れないものも多い。形だけ付けてあげているという姿勢。
母体保護法と名を変えたが、羊水チェックによる中絶の現実。
弱肉強食ではなく、適者生存。
ヨーロッパではナチスに対する検証が徹底された。日本はそれがなかった。
優勢思想ではなく、ともに生きるという姿勢。その中で障害者の親も変わってきた。
養護学校を出たら施設に入るのではなく、街に出よう。街中に施設を作ろう。
優勢思想の変革。これは日本の政策全般にいえること。
ハンセン病と同じような断種や脳解剖などが行われていた。
映画「さよならCP」原一男監督
本「母よ!殺すな」横塚晃一著
本「カニは横に歩く」角岡伸彦著
本「関西障害者運動の現代史-大阪青い芝の会を中心に」定藤邦子著