2014年03月05日

憲法改正・集団的自衛権

参議院憲法審査会での仁比聡平議員の質問が憲法改正、集団的自衛権の問題の核心を突いています。ご紹介します。

自民党改憲派の意見は大日本国憲法の美化と「押付け憲法」論一色の驚くべきもの。みんな、維新の改憲論も目立ちました。熾烈な論戦が続きます。

 わが党は、本日の憲法審査会開会に強く反対してきました。
 私はまず第一に、憲法審査会はそもそも動かすべきではないことを、改めて主張するものです。
 憲法審査会は、「戦後レジームからの脱却」「時代にもっともそぐわないのは憲法9条」と唱えた第一次安倍政権の改憲スケジュールの一里塚として、2007年5月に強行された改憲手続法によっています。
 しかし、その改憲手続法自体が、@最低投票率さえ定めず、A公務員や教育者の国民投票運動を不当に制限し、B改憲案の広報や広告を改憲派に有利にし、C衆参合同審査会の勧告権限や両院協議会によって改憲発議を容易にするなど、できるだけ低いハードルで改憲案を通せるようにした不公正な仕組みであり、国民主権及び憲法制定権力の発動である憲法96条の理念・趣旨に反するものにほかなりません。
 投票権年齢、公務員などの運動規制、国民投票の対象という「3つの宿題」も、参議院における18項目にも及ぶ付帯決議も、そうした重大問題から発するものですが、そこで提起された課題は何ら解決されていません。 
 なかでも憲法審査会は、改憲原案の審査権限をもち明文改憲に直接つながる重大な機関であります。この審査会の活動は、いきおい改憲手続きの具体化、改憲原案のすりあわせとなり、国民は憲法改正を求めていないのに改憲気運を国会が押し付けることになります。改憲手続法、そして憲法審査会は動かしてはならないのです。

 第二に、憲法審査会を動かすことは日本国憲法が決して許さない集団的自衛権とその行使をはじめとした強権と戦争国家化という憲法改悪の条件づくりに他ならないからです。
 自民党改憲草案に代表される憲法9条明文改憲の国民的ハードルは高く、そのハードルを下げようという憲法96条先行改憲も「憲法が憲法でなくなる」という強い批判に勢いを失うもとで、昨年の参議院選挙後、第二次安倍政権は、もはや憲法を棚上げし無視して、多数を恃んだ憲法破壊の数々を強行しています。
 戦争司令塔というべき国家安全保障会議と一体の特定秘密保護法の強行、国家安全保障戦略にもとづく自衛隊の侵略的機能強化、武器輸出禁止三原則の撤廃、辺野古新基地の押付けをはじめ在日米軍の再編強化などに続き、集団的自衛権をめぐる安倍総理の国会答弁は、歴代の政府見解をも根底から覆してエスカレートしていますが、戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認によって軍事力行使の手を縛り、国際紛争の平和的解決の道を示す憲法9条のもとで、集団的自衛権とその行使が認められるはずもありません。
 総理は、立憲主義は「王権が絶対権力を持っていた時代の話」とか「最高責任者は私だ。私が責任を持って選挙で審判を受ける」などと強弁するに至っていますが、こうなると「政府の憲法解釈の変更」は、もはや法的・論理的な意味での「解釈」でさえなく、たんに国会の多数を獲得すれば時の政権が憲法解釈を自由勝手にできる―すなわち憲法の最高規範性を失わせる憲法破壊にほかなりません。しかもその国会の多数は、2012年総選挙でも4割の得票で8割の議席という小選挙区制の「虚構の多数」でしかないのです。
そのもとで与党が改憲手続法改正案を今国会に提出しようとする動きは、こうした憲法破壊と日本国憲法との相容れない矛盾を打開するための明文改憲の条件づくりというべきです。
 総理がいくら「積極的平和主義」を弁明しても、凍りついたような日中・日韓関係は打開の糸口さえ見えず、日米関係の軋みも覆い隠せなくなっています。それが、靖国神社参拝強行をはじめ侵略戦争と植民地支配を正当化する総理の歴史認識と政策のゆえであるところに、軍国主義の除去と民主主義の確立によって国際社会に復帰した戦後日本の原点である憲法9条と相容れない根本的矛盾が表れています。
 先の臨時国会で示された秘密保護法反対の声の国民的広がりは、日本国民の巨大な民主主義の力を示しました。日本共産党は、憲法改悪を許さず、憲法9条を生かす北東アジア平和構想の実現のために全力をつくすものです。
posted by 後藤富和 at 11:28| 平和