2013年12月20日

【原発なくそう!九州玄海訴訟】斎藤貴男さん意見陳述

本日の原発なくそう!九州玄海訴訟第7回口頭弁論において、ジャーナリストの斎藤貴男さんが述べた意見。

 私はさまざまな社会的事象やその背景を取材し、雑誌や新聞、単行本に記事を執筆することを生業としている者です。原発問題については昨年五月に講談社から刊行した『「東京電力」排除の系譜』で取り上げ、編集者や全国紙の文化・学芸記者らの投票による第三回「いける本」大賞をいただきました。この間の取材・研究の経験などに鑑み、私なりの意見を表明します。
 私は玄海原発をはじめ、日本の原発は可能な限り速やかに廃炉にされるべきだと考えています。政府の原発政策や電力会社の運用が徹頭徹尾デタラメであり続け、とてもではないが信頼に耐えられるものではないと断じざるを得ないからです。一言で言えば国民を舐めきっている。たとえば、
@国内の平均的な原発がミサイル攻撃を受け、緊急避難を行わなかった場合、最大で一万八千人が急死。死亡にまでは至らなくても造血機能が損なわれるなどの急性障害が最大で四万一千人も出るとする試算を1984年に外務省がまとめたにもかかわらず、「反原発運動を利する」などといった理由で公表されないままで、しかもミサイルだけでなく一切のテロ対策も講じられなかった。
A経済産業省の外郭団体である「製造科学技術センター」は、原発事故に対応できる防災ロボットの開発に予算をつけ、2001年までに三菱重工業、東芝、日立製作所などが完成させていた。2人の死亡者を出した東海村のJCO臨界事故を受けた動きだったのに、肝心の電力会社が反発し、「何かあったら人間が作業すればよい」との結論が導かれて、採用されずじまいだった。
 ――などといった事実を、私は『「東京電力」排除の系譜』で詳しく検証しました。北朝鮮が攻めてくるから憲法を改正して備えるのだと言いながら、一方では無防備の原発を粗製濫造し続けている自民党政権は何を考えているのかと指摘した元原発技術者の論文を発見し、原稿に引き写していた際には、彼の怒りに共感するとともに、低次元も極まった政治を嘆いて、つくづく悲しくなったことをよく覚えています。
 拙著では、原発に反対している人々を政府や電力会社がいかに敵視し、凄まじい人権侵害を重ねているかも追及しました。地域の個人情報をたやすく収集できる電力事業の特性を悪用し、公安警察などと連携しては、従順でない国民を監視下に置き、嫌がらせを重ねてきた卑劣にこそ、原発の本質が凝縮されているのではないかと思われるほどです。
 また、これは拙著を刊行した後ですが、鹿児島の空港で購入した地元出版社の本に、次のような記述を見つけたことが忘れられません。佐賀新聞の記者が玄海原発に触れ、“町議会議長を六期も務め、町長さえも意のままに操った玄海町のドン”と呼ばれた人物の談話を記していたのです。
〈「用地買収にからんで、飲んだ酒代の総額は一年間で大体一千万円」。昭和四十年代の一千万円である。酒席は車で約四十分離れた唐津の町で毎晩のように続いたという。
「清算は町の議長交際費で五百万。九電が五百万出した」と豪語する。「人を説得するのにお茶なら一年かかるところが、酒なら一月で済む。女なら一日やけどな」と言い切った。
 原発行政にも軍隊経験者らしく、「あくまで国を信じる」と言い切る言葉によどみはない。「反対派のいる地区には道路も通さん」と言い、実際にその力もあった彼に逆らうことは、狭い町の住民には許されなかった〉(武富泰毅「九電玄海原発 人口過密地、足下に集中する原発」橋爪丈郎編著『九州の原発』南方新社、2011年所収)
 過ぎ去った歴史は変えようがありません。ですが、福島第一原発事故を経験してしまった私たちには、せめて未来だけでも改めていく責任があるのではないでしょうか。
 3・11東日本大震災からしばらくの間、そのような機運が高まった時期があったように記憶しています。ポスト原発時代のエネルギーをどうするか。将来における日本の経済社会ビジョンは。そもそも、私たちはいかにして生きていくべきなのか――。
 哲学的とも言える命題を掲げた書物が巷に溢れ、誰もが何事かを考え始めたらしいと感じることができた日々は、しかし、じきに終わってしまいました。経済成長――というよりは一握りの巨大資本の経済的利益――だけが絶対無二の価値であり、正義であり、バラ色の未来を約束してくれる福音なのだとする発想にこの国の社会はまたしても覆い尽くされて、やがて原発事故のごときは“起こらなかったこと”として黙殺し、抵抗する者をせせら笑う態度こそが、まるで理想的なリーダーシップでもあるかのように喧伝されていきます。
 このところの政財官界が猛進している官民一体、オールジャパン体制による原発輸出も、その表れのひとつでしょう。アベノミクスの柱のひとつに位置付けられた国策は、必然的に国内でのさらなる原発推進を伴います。新幹線の何十倍もの電力を消費すると言われるリニア中央新幹線が来年に着工されるのも、高レベル放射性廃棄物の最終処分場探しがにわかに加速しつつあるのも、もちろん福島の被災者たちへの補償が一向に進まないのも、当然、無関係ではありません。
 すなわち国策たる原発輸出のバックヤード、あるいはショールームとしての日本列島、という構造が築かれようとしている。原発立国が目指されていると言って過言でないかもしれません。爆発した原発の後継機を海外に売り込むからには、放射能の不安など気にもせず、ひたすら国の経済成長に人生を捧げている国民の生活ぶりを相手国の要人にアピールし、なおかつ接待や饗応の舞台とする場所が必要だということです。すべての原発が停止している現在でも電力は十分に足りているではないかとする合理的で説得的な批判が、それでも顧みられることがない所以だと思います。私たち日本国民はいつの間にか、原発産業とその利益に直結するインナーサークルを命がけで支える決死のカミカゼ・セールスマンに仕立て上げられていることになりますね。
 繰り返します。日本政府と電力産業の、人間を舐めきったやり方を、私はどうしても許せないのです。許せないことを許さないために、私はあらゆる手段を用います。各地の反原発、脱原発の運動が挫けずに頑張っているのですから、私も書いたり喋ったりの本業だけに拘りません。そんな折に本件訴訟の存在を知り、私はぜひ原告の一員となって、私たちの社会を少しでもまっとうにするための一粒の麦でありたいと考え、今、この法廷で意見を述べさせていただいております。玄海原発の周辺住民でもないのに、と自問自答もしましたが、少なくとも自分にとってはプロのジャーナリストとして知り得た現実に対する責任を果たす義務が優先されると判断した次第です。
 私はもともと、原発のテーマにさほど熱心な物書きではありませんでした。その危険性は承知していましたし、反原発の立場でもありましたが、本格的な仕事にしたことはなかったのです。
 恥を申します。国策に本気で抗えば世間に疎まれ、ただでさえ窮屈なこの国の社会で、ますます居場所がなくなるに違いないと考えていたからでした。多くの先達が充実した取り組みを重ねておられたのを横目に、どうせ自分の出番などありはしないのだしとも思い、己を正当化させておりました。
 ですが、もう黙っているわけにはまいりません。裁判長にお願いします。私たちの祖国をこれ以上、支配と被支配の関係ばかりに貫かれた封建社会であり続けさせないために、玄海原発の差し止めを是としてください。わが国の未来は、裁判長のご判断にもかかっているのですから。
posted by 後藤富和 at 14:43| 環境