昨日は、みやこ町で開催された「京築母親大会」にコーディネーター兼講師としてお招きいただきました。
70代80代の女性3名に戦中戦後の体験をお話いただきました。
満州の奉天(現、瀋陽)で小学校時代まで過ごした方の体験。8/15を過ぎ、満州は秋になっていた。満州の奥地から歩いて逃げてきた日本人はボロボロで子どもの姿はなかったこと。引き揚げの列から一人の女性が近寄ってきて10歳の彼女の頬を撫で「私この手で自分の子を殺してきたの」と涙を流したこと。冬を迎え、多くの日本人が死んだこと。その死臭が今でも蘇ってきて嘔吐してしまうこと。
満州の女学校では軍国少女として勤労奉仕に情熱を燃やした方の体験。天皇のために死ぬことが一番の目標だった。終戦の詔勅を聴いても最後まで鬼畜米英と戦うと誓ったこと。近くの731部隊で行われていたこと、朝鮮人が自分の姓も名乗れない屈辱を受けていたこと、中国人の土地を日本人が取り上げ王道楽土と謳っていたことなど、何も知らず無批判にラジオが言うことを死んでいたこと。築城に引き揚げてきて、築城は頻繁に空襲に襲われ多くの子ども達が犠牲になったこと。基地があるために空襲の対象となったこと。
直方市で敗戦を迎えた方の体験。国の言うことを無条件で信じている軍国少女であったこと。畑作業をしている時にグラマンの機銃掃射を浴びたこと。八幡の空が空襲で真っ赤に燃えていたこと。当時、母親たちは愛国婦人会、国防婦人会の名の下に、涙を隠して夫や子を戦地に送らなければならなかったこと。安倍総理はその時代に逆行させようとしている。
(後藤のコメント要旨)あと10年、20年経てば、このような話ができる人がいなくなってしまいます。今、40代50代の働き盛りの男達は、酒を飲めば北朝鮮が攻めてきたらどうするとか、次は中国に勝つとか勇ましいことを盛んに言います。最近の若者は弛んどるから徴兵制導入すべきなどと声をあげます。でも、そうやって徴兵されて中国や北朝鮮と戦うのが自分達の子や孫だということのリアル感がない。自らは戦争も体験しておらずもちろん徴兵もされていないのに、子や孫を戦地に送ることには抵抗感がない。彼らからすると、戦争はテレビで見るものであって、まさか自分の子や孫が戦場に送られるとは思っていない。戦争体験者がいなくなると、リアルに戦争体験を語る人がいなくなる恐ろしさ。戦争に突き進んで行く恐ろしさを感じます。