2012年04月21日

中国人強制連行強制労働跡地探訪

戦時中、中国人を拉致して日本の炭鉱等で強制的に労働をさせた中国人強制連行強制労働事件の跡地探訪に参加しました。

今回は4回目。これまでは、門司地区、大牟田地区、筑豊地区を訪れ、今回は福岡地区です。

戦時中、日本政府は3万8935人の中等人を拉致し日本各地の炭鉱等で強制労働をさせ、わずか2年で6830人を死亡させました。死亡率は17.8%です。

炭鉱の多かった福岡県は北海道に次いで多くの中国人が働かされました。

糟屋郡宇美町にある三菱鉱業所(現在の三菱マテリアル)勝田鉱業所大谷坑では、わずか1年間で約25%の中国人労働者が飢えや病気、リンチなどで亡くなりました(352人中87人が死亡)。1年間の労働で4人に1人が死ぬという過酷な労働でした。特に配給のピンハネが酷く、中国人労働者にはごく僅かの粗末な食事しか与えられませんでした。
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大谷坑の強制収容所跡。
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大谷坑の購買部跡。
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大谷坑の巻き上げ機の台座。
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大谷坑の診療所跡。
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大谷坑の石炭を運んだ、国鉄勝田駅跡。
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終戦後、1945年8月23日に、各事業所に稼働停止命令が出ますが、大谷坑だけは、敗戦の事実を中国人労働者に隠し、働かせ続けました。
日本人職員が捨てた新聞を拾って中国人が敗戦を知り、一斉に蜂起したのは10月3日でした。
ここの中国人労働者の多くは大都会である上海で集められた者たちで、警官や教員、学生、芸人など到底肉体労働に向かない者まで集められていました。都会人ということでインテリ層も多く、蜂起の際、英語ができる労働者が戦闘になって、博多の米軍に行き、訴えたそうです。
その時、中国人労働者が通った道がここです。
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博多港運株式会社にも100人の中国人が連れてこられ1名が死亡しています。
今のサンパレス辺りだそうです。
この会社は臨港署の近くに今もあります。
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博多港はわが国最大の引き揚げ港。海外から139万2429人が博多港に引き揚げ、博多港から50万5496人の中国人、朝鮮人が帰って行きました。
記念碑が建っています。
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中央区荒戸のふくふくプラザには「引揚港・博多」の展示がされています。

当時の強制労働の様子を知りたい方は、この小説をお勧めします。
帚木蓬生著「三たびの海峡」
福岡県のN市を舞台にした話で、かつて朝鮮人に凄惨なリンチを加えた男がN市の市長となっているという話(ノンフィクション?)。
毅然と処遇改善を訴えた朝鮮人リーダーに対し、日本人が笑いながら彼の陰嚢を裂き睾丸を取り出すリンチを加えます。何が聖戦だ、何がお国のためだ、何が日本人は優秀だと怒りがこみ上げてきます。
三國連太郎主演で映画化もされています。
posted by 後藤富和 at 08:58| 平和