2012年03月01日

泉南アスベスト訴訟、最高裁要請行動

昨日、泉南アスベスト訴訟の最高裁要請行動に参加しました。
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最高裁の会議室で原告団・弁護団・支援者が、最高裁の書記官に要請を行いました。
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冒頭、最高裁書記官から、寒い中早朝から宣伝行動を行った原告に対し労いの言葉がありました。

弁護士から、この1ヶ月で原告2名が無念の中、苦しんで亡くなったこと。生きているうちの救済が必要なことを訴えました。

原告の娘(40代)
石綿工場で働いていた父。そして、子どもたちも、粉塵が舞う工場の周りで遊んでいたこと。父が60歳になった頃から、息切れがひどくなり外出もできなくなった。医師からは父の病気を治す薬も方法もないと言われた。それでも父には1日でも長く生きてほしい。

原告の娘(40代)
こんなに危険なものと知っていたなら、父は子どもを連れてアスベストの工場敷地内に住むなんてことはしなかったでしょう。父が生きている内に解決をおbvb願いします。

原告(60代女性)
口をパクパクしても息がうまくできない。夜中にこのまま死んでしまうと思うことがたびありある。当時はこんなに悪いものだと知らされずにマスクもせずアスベストが舞う工場で一生懸命働いた。原告が次から次に亡くなるのを見ているだけでなく解決して欲しい。

原告の息子(60代男性)
父は石綿工場に勤めていた。父が退職する頃、母が胸が痛いと訴え出し、そのまま亡くなった。その後、父が胸の痛みを訴え出した。医師からは治療法がない死ぬしかないと言われ、苦しみ続けるしかない。父は「早よ死にたい」と訴えていた。父は苦しさの中、裁判の結果を見ることなく死んだ。国はアスベストが悪いもんと分かっていたのに、労働者の健康に対する配慮が足りない。

他にも、トリノ(イタリア)ではアスベスト工場の株主に対して禁錮16年の実刑判決が出たこと、釜山(韓国)では企業の時効援用を否定して企業の責任を認める判決出たこと、病院の院長(呼吸器専門医)から実際の病状などに関する訴えがありました。

私からは以下の訴えをしました。
九州から来ました。九州では未だに水俣病被害者の訴えが後を断ちません。また、諫早湾干拓の問題でも湾の締め切りから15年が経とうとしていますが未だに漁業者の被害は救済されていません。これは何を意味するのか。いくら法の理屈で被害者を切り捨てても、被害者がいる以上、戦いは続くということです。そして、この被害者たちは絶対に諦めない、勝つまで戦い続けるのです。法の理屈で切り捨てることは問題の終局的解決にはならないのです。司法に求められているのは被害者が生きている内に裁判所主導で解決を解決することです。最高裁に期待しています。
posted by 後藤富和 at 11:19| 日記