2014年10月21日

カネミ油症

今夜のterra cafe kenpouでは、宿輪敏子さん(カネミ油症五島市の会)を講師にお招きし「カネミ油症は終わっていない」と題し、人類初のダイオキシン経口摂取「カネミ油症事件」についてお話を伺いました。
30名参加。
宿輪さんは長崎の五島から来られ、東京のカネミ油症被害支援センターからも2名が参加しました。
カネミ油症は福岡が一番患者が多い。
カネミ油症とは
46年前(昭和43年2月)からPCBが混入したカネミライスオイルが市場に出回った。米ぬか由来で体に良いということで売り出されたが、PCBが混入していた。
PCBは猛毒なのに、すぐに症状は出ずに、一定の量が体内に蓄積してから症状が現れる。
小学校に入る前だったが、朝、目やにで瞼が塞がって、歯茎から膿が出て、顔がまん丸に腫れ、爪が黒くなり波打ち変形、吹き出物が身体中にでき、腫れ物に膿が溜まり座ることもできない。様々な症状が出る。幼いながら自分は何てブスなんだと思っていた。みんなは何で階段を手すりを使わずに登れるのかと不思議でならなかった。
薬も効かない。中学生の時、爪を剥がさなければならない手術を受けたが、麻酔が全く効かないまま爪を剥がされた。
妊娠中も異常な現象が続いた。
ダイオキシンの酵素誘導という現象だと後に知った。
なぜ今も被害が続くのか。2000年以降になって、それはダイオキシンが体内に蓄積しているからということを知った。
どうもないという体を経験したことがない。いつも体が痛い、辛い、調子が悪い。
油症治療研究班の論文は英語版が発表された。被害者は日本人なのに、日本語版はなかった。私たちは何のために検診を受け続けたのか。モルモットじゃないかとの思いから、日本語版の要求が起こり、ようやく日本語版が出た。それによって、ダイオキシン被害だということを知った。
母は、腹が腫れて薬も効かないので、医師が腹を開けると膿が飛び出し、肝臓が砂のようになっていた。手の打ちようがなく、子ども4人を残して死を待つだけだった。西洋医学では何もできず、あらゆる民間療法を試した。そのかいもあり母は今も生きているが、全身に痛みがある。胆管に砂や石が詰まるのが一番苦しい。
2000年にダイオキシン被害であることを初めて知って、それから調べ始めた。その中で従姉妹が「死にたい」と苦しんでいることを知った。周りからは「頭がおかしいのよ」と言われていた。被害者同士が言い合う。どのような症状が出るかわからないから患者同士も理解ができない。人類初のことで、しかもきちんとした疫学調査もない。厚労省はわざと調査をしなかったと思う。被害が明るみに出る8か月前にダーク油事件(カネミライスオイルの油粕を飼料に混ぜたところ鶏が死に出した事件)が起こっていた。人間にも被害が出ることは当然に予想されていたのに、カネミ倉庫は何の手も打たず、有耶無耶にされた(農水省の天下り先)。8か月後、朝日新聞が奇病を発表。国は自分たちが訴えられることを分かっていたからこそ、あえて調べなかった。未だに、子どもや孫など次世代の被害を調べようとしない。カネミ油症被害者に対する国のじんけんしんがい。
カネミ油症患者から産まれた子は歯が足りないことが多い。8本足りない子どももいる。
黒い赤ちゃん。頭が痛い。被害がひどくて「生きていたくない」
孫の世代にも症状が出ている。
結婚差別を考え、子ども達を検診に行かせない中、勇気を出して子どもを連れて行った人に、油症研究班は人数を制限する。極めて貴重な資料なのに本気で調べようとしない。
子どもから「なんで自分はこんなに体が弱いのか」と聞かれても真実を伝えれば子どもは結婚を諦めてしまうと考え、カネミ油症のことを伝えない親も多い。
それまでは怠け病と思っていた中、カネミ油症のことを知り、自分は原因を知ったことで救われた。それからあらゆる両方を試し、自然療法に行き着いた。化学物質に体が反応してしまい、西洋薬は体が受け付けない。西洋薬をやめてから体の調子が良くなってきた。
西洋医学一辺倒の日本の医療のあり方。
娘の体にも次々に原因不明の症状が現れる。医師に診せても分からない。
結婚前に医師からは卵巣を摘出するよう言われた。27歳の時から4年間、身体中に紫斑が出て、熱が続き、コールタールのような下痢が続いた。それでも医師は原因が分からないと。
言えば切りがないほどの症状が出てくる。
きちんと不安なく希望する治療が受けられることが望み。
そして、潜在的被害者は全国にたくさんいるはず。


posted by 後藤富和 at 23:47| 環境