2014年10月15日

在日コリアンの思い

昨夜のterra cafe kenpouでは、金静媛さん(山口県朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側事務局長)を講師にお招きし「在日コリアンの思い〜在日コリアンをとりまく問題からみるこの国の姿」についてお話しいただきました。30名が参加。

両親が済州島出身。父は1920年代に大阪に移住。母は3歳まで大阪で育ち一旦済州島に帰ったものの1940年代(12歳頃)単身で大阪に渡り、敗戦を迎えた。
戦後、両親は結婚。朝鮮半島の政治情勢、特に1948年、済州島蜂起で島民虐殺(4・3事件)によって済州島に帰れなかった。
9人姉弟。7番目と8番目が男子。儒教思想の影響から男子の誕生が望まれた。娘7人には全て故郷の一文字がついている。望郷の念、民族の尊厳のあらわれ。名前は個人の尊厳を表すもの。

京都朝鮮学校で行われた暴言(ヘイトスピーチ)では、人間以下の言葉を浴びせられた。その言葉を浴びせられた子ども達の思い。
京都地裁、大阪高裁判決は在特会を断罪し、民族差別を正面から認めたもの。
ただ、裁判では勝っているものの、今の情勢は、血生臭いものが迫っている不気味な感触を受ける。
この裁判は、人間の尊厳を守る戦い。踏みにじられた子ども達の尊厳を回復する戦い。尊厳を守るために裁判を起こすことの意味。裁判を決意した親達の思い。「朝鮮学校の子ども達は北朝鮮のスパイ」「スパイ養成学校」この暴言は「名誉毀損」。被疑事実として「名誉毀損」は外せないとの思い。
在日一世は、戦後も治安管理の対象としての処遇を受け続けて来た。
80代のオモニは、ヘイトスピーチに接し「警察悪いな。在特会か警察か分からん」と事件の際の警察の対応について口にした。

高校までは通称名「金城媛子」で通した。高校生の時、本名宣言。
弟(金尚均)は小学校時代から差別を受けて来た。高校生の時、ボクシングジムに通い出した。当時、執拗な差別と暴力を浴び、自分の身を守るため。弟はその後、大学の教授(刑法)となり、現在は法科大学院の教官。「ヘイト・スピーチの法的研究」を執筆。
弟は自分の子を京都朝鮮学校に通わせていた。そこで、子ども達は在特会のヘイト・スピーチを浴びた。弟夫婦はともに日本学校に通ったが、子ども達には民族の言葉を学ばせたいという思いから京都朝鮮学校に通わせた。そして子ども達から朝鮮のことを学ぶ。つまり朝鮮人としての「生き直し」であった。子ども達は、自分達が美味しいと思うものを遠慮なく美味しいという。金さんの時代はキムチはおろか朝鮮と分かるものは友達にバレないように避けていた。家に友達を呼ぶこともできなかった。朝鮮学校が民族のアイデンティティを育む場になっている。

関東大震災の時の朝鮮人虐殺(映画「隠された爪跡」「払い下げられた朝鮮人」)。
軍艦島での朝鮮人強制連行の歴史。世界遺産登録運動の中でこの歴史が隠されている。軍艦島から長崎市の三菱ドッグに移され被爆した朝鮮人宋さん。宋さんが差し出した食事を食べることができなかった。その食事には強制連行、被爆など在日が味わった思いが詰まっている気がして、それを共有することの重さ、思いの血生臭さから、箸をつけることができなかった。それが今でも負い目になっている。(「強制連行された朝鮮人の証言」)

4.24阪神教育闘争(1948)。16歳の少年が射殺された。その前に3.31山口闘争(1万人)。なぜ山口だったのか。朝鮮半島に近い。朝鮮総督府の職員が引き上げ後、山口県庁の職員となり、徹底した朝鮮学校への弾圧。
私の子どもの時代には差別はなくなっているだろうと思っていた。
今回の京都朝鮮学校襲撃事件は、関東大震災の朝鮮人虐殺(ジェノザイド)と同じような状況を思い起こさせる。91年を経て、差別がなくなっているという思いが幻想であったことを思い知らされた。
目の前にある問題にあえて向き合うことを選んだ。それを多くの日本人が支えた。子ども達、親達の自己肯定感に繋がった。
この問題の解決のために何ができるのか。
現場に行くこと。
カウンター行動。
日本人、朝鮮人が思いを共有することで乗り越えることができるのではないか。朝鮮人の痛みを理解することで新たな関係が築けるのではないか。
posted by 後藤富和 at 07:33| 平和