2014年09月07日

中国人強制連行強制労働フィールドワーク

中国人強制連行強制労働フィールドワーク(田川市)に参加しています。

午前中は、岩佐英樹さん(元県立高校社会科教諭)のレクチャー。

「華人労務者内地移入ニ関スル件」(昭和17年11月27日閣議決定)
「移入半島人労務者ニ関スル調査票」(極秘)(昭和19年3月。次長提出。特別高等課)
「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけではありません。後になって過去を変えたり、起らなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」(1995年5月。ヴァイツネッカー大統領(西ドイツ)演説)
福岡県内では、6090名の中国人が強制連行され、648人が亡くなった。死亡率10.6%。とりわけ、三菱鉱業勝田鉱業所(大谷坑。今の糟屋郡宇美町貴船あたり)では死亡率25%。大谷坑では50代の死亡率は100%。40代の死亡率は57%。
全国でみると静岡県の仁科鉱山(戦線鉱業)は死亡率52%。
これらの事実は戦後、闇に葬られ、岸信介首相は国会答弁でも否定し続けた(岸首相は戦前、商工大臣として中国人の連行の企画実行した責任者)。
しかし、1993年、NHKのスクープで、終戦直後外務省と企業が作成した報告書が発見され、中国人強制連行の実態が明らかになって行った。

宇美町に高校教員として赴任した岩佐氏は、宇美町で多くの中国人が連れて来られ亡くなったことを知り、外務省報告書を元に遺族48人に手紙を書いた。その多くは宛先不明で戻って来たが、1通だけ返事があった。遺族は父がある日突然いなくなり、日本に連れて行かれたことも知らなかった。その後、母が女手一つで子ども達を育てるのは「涙も枯れるほどの苦労」であった。53年経てはじめて父が日本に連行され日本で死んだことを知った。「今日、父が日本軍に拉致連行され労働させられ、他国なる異郷の地で惨死したとの消息を知り、家族皆たとえようのない悲しみに沈んでいます。今もまだ、私の父の遺骨はあるのでしょうか。遺書や遺品はありますか。お手を煩わせますが、岩佐英樹先生、調べて下さい。」

最高裁判決(2007年4月)は、中国人強制連行強制労働の事実について詳細に認定した上で、国と企業(三井や三菱など)に対して「中国人労働者らを強制労働に従事させ、相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなど諸般の事情に鑑みると、上告人(国と企業)を含む関係者において本件被害者(中国人労働者)の救済に向けた努力をすることが期待される」と付言した。
しかし、西松建設を除いてどの企業も未だに謝罪も賠償もしていない。
posted by 後藤富和 at 11:44| 平和