以下は僕のメモ。
私が生まれる前から日本では戦争が始まっていた
平和というものがどういうものか知らなかった。
8/15のラジオ放送を聴いても平和の実感なんてない。平和を知らないから。
でも、その中でも平和を実感したのは灯火管制をしなくてよくなったこと。
平和って明るいんだ。夜ぐっすり眠れるんだ。
翌年11/3日本国憲法公布
9歳上の兄は教師で多くの教え子を戦場に送った。兄は神風が吹くと信じていた。
兄は復員後、腑抜けのようになって教え子の消息を訪ねて回った。
兄は、日本国憲法の新聞発表を知り、憲法9条に感動した。そこには日本は二度と戦争をしない、そのために軍隊を持たないと言っている。もし世界の何処かで戦争があってももう日本は戦争をしなくてよくなったんだと兄は語って聞かせた。
それから、なぜあの戦争を引き起こしたのかを調べるようになった。
「政府の行為によって再び戦争の参加が起こらないようにすることを決意し、ここに主権が国民にあることを」
政府の行為にブレーキをかけるのは国民。
でも、憲法を始めて読んだ時、ブレーキをかけるのは代議士だと思ってしまった。
憲法では「永久」の文字が9条、11条、97条の3回出てくる。
戦争を一時的にやめるではなく「永久に」やめることを誓った。
昭和6年の満州事変から昭和20年8月15日まで戦争が続いた。ただ、最後の1年で戦争の形態がガラリと変わった。
それまでは戦場は海の彼方だったのに、昭和19年から日本国内が戦場になった。
政治家は戦争する時に「侵略」などとは言わない。大東亜共栄圏、アジアの解放、聖戦と言い、国民は戦場で実際に行われていることを知らない。
昭和20年からは精密爆撃でなく無差別爆撃に変わった。
3/10、真夜中、300機の大編隊が超低空で東京上空に侵入。しかも木造家屋消失に適したナパーム油脂焼夷弾。
爆撃は2時間で終わったが、わずかその時間で東京の歴史は一変した。
朝を迎えた時、東京の下町は全滅、10万人の死者、100万人を超える罹災者。その多くが女性や年寄り子ども。
こんな短時間にこれだけ多くの人が死ぬことはこれまでの歴史ではない大量虐殺。これが、沖縄、広島、長崎に続く。
東京大空襲の政府発表の中に承服できぬ一行があります。「都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬寮は2時35分、其の他は8時頃迄に鎮火せり」で、100万人の罹災者と、10万人の都民のいのちは、「其の他」の三文字で片付けられたのです。
当時の民間人は、「臣民」「赤子」「民草」と称され、人権など爪のアカほどもなく、雑草並みの存在でしかなかった。
福岡市も6/19深夜から20にかけてB29 200機が襲来、東京大空襲とあまり変わらない量の焼夷弾が投下され、福岡も焼け野原になった。
軍人遺族には54兆円の恩給が出たが、空襲で3人の幼い子を失った24歳の森川さんがもらったのは乾パン1つだけ。
日本人の死者210万人以上、アジアの死者2000万人以上。
昭和20年の平均寿命。男性23.9歳、女性37.5歳。
昭和21年の平均寿命は男性42.6歳、女性51.1歳。食うや食わずの時代だったがそれでも戦争がなくなるとこれだけ違う。
昭和19年に63人のクラスだったのが戦後6名しか集まれなかった。
死んでいった同級生たちから「君だけは生き残らせてやろう。そのかわりに、戦争で命を絶たれた子どもたちのことを、語り継いでいってくれるかね。最後の一人になってでも、戦争絶対反対を叫び続けてくれるかね?」と問われている。
著書を読んだ中学生からの感想文に「今、平和で良かった」とある。
でも、今、本当に平和か。日本はアメリカの戦争に加担し、イラクに送られた自衛官の自殺があとを絶たず、本当の平和とは決して言えない状況にある。日本は加害者的な面を払拭できない。
理性を欠いた北朝鮮、中国の軍備拡張は脅威だが、本物の脅威は国内にあった。それが原発。
平和利用、安全神話と言われ続けたが、先の大戦と同じ。
東洋平和、自尊自衛と言い続け戦争を遂行し、想定外の使者を出した。想定外の事故、死者を出した原発事故。
日本の原発は54基と言うが、原子力空母、原子力潜水艦を入れると57基ではないか。
ラジオ福島の依頼で震災後の福島に入った。
南相馬市では、93歳の女性が自殺している。
「年寄りは足手まといになるからお墓に避難します。ごめんなさい。さようなら。」
旧満州からの引き揚げで何度も目にした文字。
まるで戦争状態じゃないか。
小高区に入ると除染した土砂が山盛り。
浪江町に入ると、1時間以上いると危険と言われゾッとした。
その惨状たるや、東京大空襲の焼け野原に似ていませんか、と聞かれた。たしかに酷似している点がある。それは、ごく当たり前の穏やかな日常を、一瞬にして非日常にしてしまう点。
けれど、原発問題と戦争や空襲とでは、決定的に違う。8月15日、戦争終結の報と同時に、人びとは焼けトタンを拾い集めてきて、雨露をしのぐ場を確保しました。国破れても山河ありだった。
ところが、福島では、それができない。放射能汚染が続く限り、この先、何十年、何百年、あるいは半永久的にその土地では生活はおろか、近寄ることさえできない。たかだか電気を生み出すためだけの原発のために、何世代にも渡って住み慣れた土地を奪われることなど、許されていいはずはない。
原発再稼働とか輸出などもってのほか。
昨年12/6夜、特定秘密保護法が可決された。国民に真実を知らせない。かつての戦時中の国民と同じように「見えざる、言わざる、聞こえざる」の状態にして、国民の知らぬ間に戦争の準備し、気づいた時には戦争になる。
いつか来た道。
秘密保護法から半年、集団的自衛権の閣議決定。
当初、政府は憲法96条の改訂(2/3→過半数)を念頭に置いていたが、批判が相次いだため引っ込めて、解釈改憲を推し進めた。閣僚だけで憲法を変えるならば、それはもはや憲法ではない。
容易ならざる事態だが、これからが戦いの本質。
安倍総理は、日本の女性や子どもが乗った米艦艇が攻撃されたら女性や子どもを守れないと言うが、この政府が女性や子どもをそんなに真剣に守ったことがあるか。
東京大空襲はどうか、沖縄はどうか、満州では軍隊は先に帰り置き去りにしたではないか。
軍隊は住民を守ることが役割ではない。
そんなまやかしにごまかされてはいけない。戦いはこれから。
最後に永井隆博士(医師、長崎で被爆)の言葉を引用
「日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ者が出ないともかぎらない。そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。そのときこそ、……誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者とさげすまされ、裏切者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!」(いとし子よ)