2014年08月15日

全戦争犠牲者追悼非戦を願う法要

毎週火曜日の憲法学習会terra cafe kenpouに場所を提供していただいている浄土真宗光圓寺(福岡市中央区天神3丁目)の「全戦争犠牲者追悼非戦を願う法要」に参加しました。
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釋耕也(円日耕也)住職の表白
先の15年戦争敗戦69年目の8月15日をむかえました。今日の日本は政府の集団的自衛権閣議決定等、足早に「戦争できる国」づくりがはじめられました。戦前、新興俳句の社会性分野の発展に寄与した俳人・渡辺白泉は次のような俳句を詠みました。
『戦争が 廊下の奥に たってゐた』
私たちがうっかり生活している間に、戦争は準備され、身動きできない大きな存在となって立ちはだかっていたというのでしょうか。戦争は急にはじまることはありません。長い時を着々と準備されて、気付いた時は、手の付けられない法律によって私たちは縛られるのです。そして若者達は戦争に駆り出されていくのです。
ここで1931年9月からはじまる日本の戦争への道程を振り返ってみます。
1931年、満州事変という名の中国との戦争がはじまりました。いわゆる15年戦争のはじまりです。1933年3月、満州国を認めない国際連盟から脱退、1937年7月、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突して全面戦争へ。1938年4月、政府がすべての人的・物的資源を統制できるようにする法律、国家総動員法公布。1939年9月、ドイツのポーランド侵攻開始により第二次世界大戦がはじまりました。1940年、日独伊三国同盟調印、1941年12月、日本軍がマレー半島に上陸、ハワイ・真珠湾を奇襲攻撃により米国との太平洋戦争突入。ここで日本は第二次世界大戦に途中から参戦します。1944年10月、神風特攻隊が初めて米艦に突撃。1945年3月、東京大空襲。同年4月、米軍が沖縄本島に上陸、5月に同盟国のドイツが無条件降伏します。そして6月19日、福岡大空襲。8月6日、米国が広島に原爆投下。8月9日、米国が長崎に原爆投下。8月15日、天皇の玉音放送。こうして日本は敗戦国となりました。日本人はよく戦争は嫌いといいますが、その主な理由は1944年以降、米国の飛行機が飛んでくるようになってからだと歴史家は言います。
1931年にはじまる15年戦争は中国への侵略戦争でした。1945年の敗戦の日まで約15年間、中国本土は戦争の舞台となり、たくさんの非戦闘員の女性やこども達、一般市民がいのちを奪われました。この歴史的事実は決して忘れてはいけないことだと思います。
日本が戦争の表舞台となるのは、敗戦に至るわずか1年間に限られています。中国の方々は15年間、死の恐怖の中に生きておられました。(略)2300万人という犠牲者を出した戦争が終わりました。
このことを深く胸に刻み、その反省に立って、戦争放棄をうたった憲法9条、平和憲法を私たちはいただきました。この平和憲法は、アメリカの押し付けだという人がおられます。しかし、またある人が言われたように、この憲法は多くの犠牲者の方々が後世に生きる私たちの為につくって下さったものです。いうなれば、これは遺言状と言えるのではないでしょうか。(略)
8月9日、被爆69年目の平和祈念式典が長崎で開かれました。(略)その式典で被爆者代表として城台美弥子氏が「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。」と訴えられました。(略)
氏は言われます。
「たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に表れる原爆症で多くの被爆者がいのちを落としていきました。戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。日本の未来を担う若者やこども達を脅かさないでください。平和の保証をしてください。」と。
(略)これからもその方々に学び、戦争の原因となる事柄を注意深く見極め、平和な世の中を願い続けたいと思います。(以下略)

住職の案内文にはこうあります。
佛教は非戦(殺しあうことは罪悪である)の教えであります。しかしながら、私共佛教徒は先の15年戦争において、ごく一部の人を除いて、国家による戦争に協力し、深く加担し、おしゃかさまの教えにそむき、戦争を聖戦と賛美し、その結果、自国民300万人を犠牲にし、さらにアジアの人々2000万人のいのちを奪いました。この歴史の教訓を深く心にとどめたいと思います。この戦争の反省から、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意して、憲法9条が制定されました。この憲法の『戦争の放棄』という精神こそ、おしゃかさまの「殺すことなかれ」という教えに連なっていくものであります。

この日、講話を行った井之上大輔先生(筑紫女学園高等学校教諭)は、戦前戦中、戦争に加担した浄土真宗について強い疑問を持っていると正直に告白された上でこのようにお話しされました。
仏教、浄土真宗といえば、戦後は非戦・平和のイメージだが、政治の世界は避け、光円寺のように声を上げる寺は残念ながら少ない。
しかし、集団的自衛権の閣議決定に接し、もう黙ってはいられない。光円寺住職の、戦争を美化してはならない、アジアの方々に対する侵略戦争と明確に位置付け、一歩踏み込んで平和を求める気持ちを共有したいと思った。
日清日露戦争の時代から浄土真宗は従軍布教に熱心だった。
「後の世は 弥陀の教えに任せつつ 命やすく 君にささげよ」と説いて、若者を戦場に送り命を捨てさせるのに協力してきた。
仏教の教えは命を尊び戦争に反対するもの。それなのに、なぜ浄土真宗は戦争に協力してきたのか。
では、戦後、浄土真宗は戦前戦中の行いを反省したか。
戦後、浄土真宗は手のひらを返すように、平和、民主主義が大事と言い出した。
それは、単に時代の流れに便乗しただけではないのか。時代に便乗するという姿勢に変わりはないのではないか。
なんでなんだと思い悩んでいた時、日清日露戦争の時代に戦争反対をとなえた浄土真宗の僧侶高木顕明氏を知った。
高木氏は最初から戦争反対をとなえていたわけではなく、日清戦争当初は、他の一般的な僧侶と同じく、天皇万歳と叫び戦争を支持し、被差別部落民を穢らわしいと差別を厭わなかった。
それが和歌山県新宮市の浄泉寺の住職となり、差別されてきた人たちや、社会的に弱い人たちの生活に接し、生き方を変えた。
経典から平和を引用するのは簡単だが、現実の人達に接して、生き方として平和を求めるようになった。
こうして高木氏は非戦・平等をとなえる人々(クリスチャンの医師やジャーナリスト、活動家など)と連帯していった。
これらの人々は後に大逆事件で全員逮捕され、死刑もしくは無期懲役となったが、すべて冤罪であった。
高木氏は、服役中に自殺をした。
高木氏に接し、それまでなぜ当時の浄土真宗の僧侶達は戦争に協力したのかと一方的に非難していたが、自分がその当時に生きていたら高木氏のようなことができていただろうかと、人を責めていた指先が自分の胸に向かうようになった。
高木氏の生き方を通して8/15の意味を考えていきたい。

この後、参加者全員で鐘を撞きました。
posted by 後藤富和 at 20:04| 平和