2013年09月11日

今夜のterra cafe

今夜はterra cafe kenpouでした。
今回は16名が参加。中国人留学生2人も参加。

前半は伊藤真氏の憲法講座のビデオ視聴。沖縄も原発も他人の犠牲の上に成り立つ幸せ。その幸せは本物じゃないのではないのか。少数派の思いを想像すること。映画「パッチギ」など。国籍や性別、社会的地位などに関わらず、人は人間として存在する以上かけがえのない価値がある。国のために個人が犠牲になることを国が国民に押し付けるのはやめよう。これが「個人主義」「個人の尊重」。憲法がいう「個人主義」は「利己主義」とは全く逆。他人の権利も尊重するということ。自民党の憲法改正草案は「個人の尊重」を否定している。立憲主義も否定。アメリカの政治家からは、日本の政治家はその程度かと思われている。この国で個人の尊重が確立するには50年、100年かかるかもしれない。この国では、人権が尊重されないだけでなく、責任も曖昧になる。誰も原発事故の責任を取らない。
人と違うこと、多様性を認めあえる寛容性がある社会を目指すのが憲法。
日本民族だけ、靖国史観を持っている人だけ、特定の宗教だけ、同じ肌の色の人だけ、同じ言葉のひとだけ、そういう一つの価値観だけで固まった社会は脆い。ただ、日本で暮らしていると、多様性を認めるということが難しい社会(出る杭は打たれる)。多様性を認めあえる社会の方が持続可能な発展性がある。憲法は多様性を認めている。小さな子どもの頃から意識すること。人と違っていいということを認めるのが憲法だと子どもの頃から意識すること。人と違っていることが素晴らしい。
一人一人をそのまま尊重する(人権の尊重)。一人一人の気持ちを吸い上げて物事を決める(民主主義)。一人一人の人権を打ち砕く戦争はいけない(平和主義)。
【憲法の目的】個人の尊重
【目的達成手段】人権の尊重、民主主義、平和主義
憲法は、国家機関を縛る制限規範。国家機関に権力を与える授権規範ではない。
日本国憲法の第1章が「天皇」となっているのは、天皇の権限を制限して、天皇に一切政治をさせない、天皇を縛ることに主眼がある。
第2章では軍隊を縛る。
王権と軍隊が人々を苦しめる原因だから、真っ先にこの二つを縛った。1章、2章で王権と軍隊を縛るのは、3章の人権尊重の前提。
憲法改正の要件が厳しいのは、憲法が最高法規である以上当たり前(硬性憲法)。そうでないと、憲法と矛盾する法律を作る時に同じ手続きで憲法を変えれば済むようになる。
憲法は、人権を保障するための法だから最高法規(97条)。そして、国民が、権力者、公務員を縛るための命令が憲法(立憲主義)。だから憲法尊重擁護義務は天皇以下の公務員が負っていて、国民はその中に入っていない。
しかし、自民党憲法改正草案は、97条を削除し、天皇を憲法尊重擁護義務から除外し国民に憲法尊重擁護義務を負わせている。立憲主義の全否定。世界でも特殊な国になる。近代国家ではなくなる。こんな憲法改正草案を作る自民党にはまともに憲法を勉強した人がいない。
「法の支配」と「法治主義」
「法の支配」は、専断的な国家権力の支配(人(王)の支配)を排し憲法で権力を縛ること。法律の支配ではなく、憲法の支配。法律は適正な合理的なものでなければならない。
「法治主義」は、行政は法律に従わなければならない。ここでいう法律は議会が作ったものであれば良く中身が適正かどうかは問わない。悪法もまた法なり。治安維持法、特高警察。

後半は、綾瀬はるかの「綾瀬はるか『戦争』をきく」を視聴。
94歳元助産師が見た原爆の真実。
救護被爆
異常児の出生(単眼、無頭症)
8/6夜、がれきの中のお産。爆心地から2kmの土手で避難してきた人がバタバタと死んでいく。絶望の中に、産声が響いた。出産した18歳の女性はそのまま死んだ。生まれた子は1月後に亡くなった。
戦争は男も女も子どもも関係なくみんなが深い傷を負う(綾瀬はるか)。

後半第2段は"ハイスクール国会"高校生が考えた「憲法」を視聴。
posted by 後藤富和 at 00:35| 平和