毎週火曜日夜(19時〜21時)に天神の光円寺門徒会館で行っている憲法の学習会「terra cafe kenpou」って具体的にどういうことをしているの?という声がありましたので、今後の予定をご紹介します。
9月3日(火) 憲法の学習(憲法講義ビデオ)、綾瀬はるかの「戦争を聞く」視聴
9月10日(火)憲法の学習(憲法講義ビデオ)、綾瀬はるかの「戦争を聞く」視聴)
9月17日(火)憲法の学習(憲法講義ビデオ、条文4〜8条(天皇)解説)
9月24日(火)映画「誰も知らない基地のこと」視聴、憲法の学習(条文9条(戦争放棄)解説)
9月28日(日)長崎バスツアー
10月1日(火)過労死問題(講師:井下顕)
10月8日(火)憲法の学習(憲法講義ビデオ)、条文11〜12条解説
10月15日(火)ドラマ「大地の子」視聴
10月22日(火)残留孤児が生まれた歴史的背景について(講師:馬奈木昭雄)
10月29日(火)憲法の学習(憲法講義ビデオ)、条文13条解説
11月5日(火)残留孤児の方からお話しを伺う(予定)
11月12日(火)残留孤児の方のビデオを視聴
11月19日(火)残留孤児の方からお話しを伺う(予定)
11月24日(日)京劇観劇+中華料理
11月26日(火)憲法の学習(憲法講義ビデオ)、条文14条解説
9月は「戦争」をテーマに、10月上旬に過労死問題に触れ、10月中旬から11月にかけては中国残留孤児の問題を考えます。また、合間に憲法の学習のコーナーも設けました。各回、20代、30代の弁護士が解説等を行います。
12月以降は、諫早湾干拓問題、基地問題、原発問題、投票の価値の平等、ハンセン病問題、中国人強制連行強制労働問題、犬猫殺処分問題、子どもの人権、貧困問題、メディア、特攻(知覧、光)、障害者の問題などを計画中です。
皆さんもterra cafe kenpouに遊びに来てください。
2013年09月02日
毎週火曜日夜の憲法学習会(terra cafe kenpou)
posted by 後藤富和 at 18:56| 平和
2013年09月04日
【お知らせ】風船プロジェクトVol.4ファイナル

原発なくそう!九州玄海訴訟
風船プロジェクトVol.4ファイナル!!
【日時】2013年10月27日(日)午後1時スタート(受付開始12時)
【場所】波戸岬海浜公園海のトリム(佐賀県唐津市鎮西町波戸720−1)
【参加費】大人500円 高校生以下無料
【主催】原発なくそう!九州玄海訴訟
「風船プロジェクト」実行委員会(担当:稲村、田中)
TEL0952-25-3121 FAX0952-25-3123
メールballoonpro2012@gmail.com
*貸切バスも運行予定です。
詳細はお問い合わせください。
原告でない方もどなたでもご参加頂けます。
↓↓風船プロジェクトVol.3レポート↓↓

風プロの最新情報は、下記にてチェックしてください!!
ホームページ http://genkai-balloonpro.jimdo.com/
posted by 後藤富和 at 11:21| ご案内
昨夜のterra cafe kenpou
昨夜のterra cafe kenpouは、17名が参加しました。
前半は、伊藤真氏の憲法の講義ビデオを視聴。
後半は、星野圭弁護士から「生活保護基準引き下げ、生活保護法改悪案の内容と問題点」についてお話しをいただきました。星野弁護士の話は、複雑になりがちな生活保護に関する問題点をすっきりと整理されており、とても分かりやすい話だったと好評でした。
また、村井弁護士も参加し、懇親会までお付き合いいただきました(ちなみに、学習の後は毎回みんなで近くの店でビールを飲んでいます)。
今後のterra cafe kenpouの予定をお知らせいたします。皆さん、ぜひご参加ください。また、弁護士の参加も大歓迎です!現在、4名の弁護士でterra
cafeのお手伝いをしていますが、圧倒的にマンパワーが不足しております。特に60期代の若い弁護士の皆さん、terra
cafeを手伝って下さい(「手伝っていいよ」という直メお待ちしています)。持ち込み企画も大歓迎です。
9月28日の長崎バスツアーの参加も募集中です。ぜひご参加ください。
9月は戦争と平和をテーマに、10月中旬から11月にかけては中国残留孤児問題をテーマに学習を行います(後藤は毎回参加する予定です)。
9月10日 伊藤真氏の憲法講義ビデオ視聴+綾瀬はるか「戦争」を聞く視聴(講師:中原昌孝弁護士)
9月17日 原爆に関する映画上映+憲法解説(前文2〜4項)(講師:星野圭弁護士)
9月24日 原爆の被害について(原爆症認定訴訟弁護士の話し)+綾瀬はるか「戦争」を聞く視聴(講師:魚住昭三弁護士)
9月28日(日) 長崎バスツアー(平和祈念資料館、岡まさはる記念館、被爆者の話しなど)
10月1日 「戦争と過労死の根源」講義(講師:井下弁護士)
10月8日 伊藤真氏の憲法講義ビデオ視聴+憲法解説(4〜8条)
10月15日 DVD「大地の子」視聴(講師:星野圭弁護士)
10月22日「残留孤児が生まれた歴史的背景」講義(講師:馬奈木昭雄弁護士)
10月29日 韓国(板門店、ナヌムの家)報告会+憲法解説(9条)(報告担当:terrra cafeに参加している女性)
11月5日 残留孤児の方からお話しを伺う
11月12日 残留孤児に関する法的問題について講義+憲法解説(10〜12条)
11月19日 残留孤児の方からお話しを伺う
11月24日(日) 京劇を観劇し、その後、中華料理で懇親会
皆様のご参加をお待ちしています。
前半は、伊藤真氏の憲法の講義ビデオを視聴。
後半は、星野圭弁護士から「生活保護基準引き下げ、生活保護法改悪案の内容と問題点」についてお話しをいただきました。星野弁護士の話は、複雑になりがちな生活保護に関する問題点をすっきりと整理されており、とても分かりやすい話だったと好評でした。
また、村井弁護士も参加し、懇親会までお付き合いいただきました(ちなみに、学習の後は毎回みんなで近くの店でビールを飲んでいます)。
今後のterra cafe kenpouの予定をお知らせいたします。皆さん、ぜひご参加ください。また、弁護士の参加も大歓迎です!現在、4名の弁護士でterra
cafeのお手伝いをしていますが、圧倒的にマンパワーが不足しております。特に60期代の若い弁護士の皆さん、terra
cafeを手伝って下さい(「手伝っていいよ」という直メお待ちしています)。持ち込み企画も大歓迎です。
9月28日の長崎バスツアーの参加も募集中です。ぜひご参加ください。
9月は戦争と平和をテーマに、10月中旬から11月にかけては中国残留孤児問題をテーマに学習を行います(後藤は毎回参加する予定です)。
9月10日 伊藤真氏の憲法講義ビデオ視聴+綾瀬はるか「戦争」を聞く視聴(講師:中原昌孝弁護士)
9月17日 原爆に関する映画上映+憲法解説(前文2〜4項)(講師:星野圭弁護士)
9月24日 原爆の被害について(原爆症認定訴訟弁護士の話し)+綾瀬はるか「戦争」を聞く視聴(講師:魚住昭三弁護士)
9月28日(日) 長崎バスツアー(平和祈念資料館、岡まさはる記念館、被爆者の話しなど)
10月1日 「戦争と過労死の根源」講義(講師:井下弁護士)
10月8日 伊藤真氏の憲法講義ビデオ視聴+憲法解説(4〜8条)
10月15日 DVD「大地の子」視聴(講師:星野圭弁護士)
10月22日「残留孤児が生まれた歴史的背景」講義(講師:馬奈木昭雄弁護士)
10月29日 韓国(板門店、ナヌムの家)報告会+憲法解説(9条)(報告担当:terrra cafeに参加している女性)
11月5日 残留孤児の方からお話しを伺う
11月12日 残留孤児に関する法的問題について講義+憲法解説(10〜12条)
11月19日 残留孤児の方からお話しを伺う
11月24日(日) 京劇を観劇し、その後、中華料理で懇親会
皆様のご参加をお待ちしています。
posted by 後藤富和 at 13:44| 平和
新聞記事 Terra Cafe KENPOU
posted by 後藤富和 at 16:10| 平和
2013年09月05日
京劇チケット販売中
京劇公演を楽しみにしている皆さん
京劇公演まであと2か月余りとなり、だんだんと席が埋まって来ている状況です(例年なぜかA席から埋まっていきます)。
早めに席を確保しておかれることをお勧めします。

京劇鑑賞希望の方は当事務所までメール、FAXにて
@名前
Aチケット送付先(住所)
B希望座席(A席、B席、C席、高校生大学生、留学生)
C枚数
をお知らせください。
メール http://www.ohashilo.jp/mail.html
FAX 092-516-1637
通常価格よりも500円引きにて販売いたします。
A席 4000円(学生幼児は2700円)
B席 3000円(学生幼児は2100円)
C席 2000円
大学生・高校生 1000円
留学生 500円
日中平和友好条約35周年記念「北京風雷京劇団訪日講演2013」
日時 2013年11月24日(日)13:00〜14:45(12:30開場)
会場 福岡市民会館
主催 北京風雷京劇団福岡公演実行委員会
後援 中華人民共和国駐福岡領事館、福岡県、福岡県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会、福岡市文化芸術振興財団、九州経済連合会、福岡中小企業経営者協会、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、日本経済新聞社西部支社、西日本新聞社、NHK福岡放送局、RKB毎日放送、FBS福岡放送、TVQ九州放送
京劇公演まであと2か月余りとなり、だんだんと席が埋まって来ている状況です(例年なぜかA席から埋まっていきます)。
早めに席を確保しておかれることをお勧めします。

京劇鑑賞希望の方は当事務所までメール、FAXにて
@名前
Aチケット送付先(住所)
B希望座席(A席、B席、C席、高校生大学生、留学生)
C枚数
をお知らせください。
メール http://www.ohashilo.jp/mail.html
FAX 092-516-1637
通常価格よりも500円引きにて販売いたします。
A席 4000円(学生幼児は2700円)
B席 3000円(学生幼児は2100円)
C席 2000円
大学生・高校生 1000円
留学生 500円
日中平和友好条約35周年記念「北京風雷京劇団訪日講演2013」
日時 2013年11月24日(日)13:00〜14:45(12:30開場)
会場 福岡市民会館
主催 北京風雷京劇団福岡公演実行委員会
後援 中華人民共和国駐福岡領事館、福岡県、福岡県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会、福岡市文化芸術振興財団、九州経済連合会、福岡中小企業経営者協会、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、日本経済新聞社西部支社、西日本新聞社、NHK福岡放送局、RKB毎日放送、FBS福岡放送、TVQ九州放送
posted by 後藤富和 at 17:54| ご案内
2013年09月06日
今夜のイベント二つ紹介
本日開催のイベントを2つご紹介いたします。
ぜひご参加ください。
ただし、この2つのイベント、時間が被っていますので、興味ある方にご参加下さい。
ちなみに僕は、日中文化講座に参加予定です。
・日中文化講座(日中文化センター主催)
テーマ「第二次世界大戦期の「満」独関係〜満州大豆から阿片へ〜」
講師 熊野直樹氏(九州大学法学研究院教授)
日時 9月6日(金)18:30〜
場所 日中文化センター(福岡市中央区渡辺通2-9-23樋口ビル3階)
会費 700円

http://ncf.way-nifty.com/ken/2013/07/post-ec57.html
・福岡県弁護士会主催の講演会
テーマ「自衛隊が国防軍に変わるとき」
講師 半田滋氏(東京新聞編集委員)
日時 9月6日(金)18時〜
場所 アクロス福岡(入場無料・予約不要)

http://www.fben.jp/whatsnew/2013/08/post_310.html
ぜひご参加ください。
ただし、この2つのイベント、時間が被っていますので、興味ある方にご参加下さい。
ちなみに僕は、日中文化講座に参加予定です。
・日中文化講座(日中文化センター主催)
テーマ「第二次世界大戦期の「満」独関係〜満州大豆から阿片へ〜」
講師 熊野直樹氏(九州大学法学研究院教授)
日時 9月6日(金)18:30〜
場所 日中文化センター(福岡市中央区渡辺通2-9-23樋口ビル3階)
会費 700円
http://ncf.way-nifty.com/ken/2013/07/post-ec57.html
・福岡県弁護士会主催の講演会
テーマ「自衛隊が国防軍に変わるとき」
講師 半田滋氏(東京新聞編集委員)
日時 9月6日(金)18時〜
場所 アクロス福岡(入場無料・予約不要)
http://www.fben.jp/whatsnew/2013/08/post_310.html
posted by 後藤富和 at 13:40| ご案内
2013年09月07日
【ご案内】福島のいま、増え続ける汚染水〜生業を返せ!地域を返せ!〜(9月26日)
【福島のいま、増え続ける汚染水〜生業を返せ!地域を返せ!〜】
「生業返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」原告団団長 中島孝さんトークライブ
「原発なくそう!九州玄海訴訟福島調査団からの現地報告」
9月26日(木)福岡市立中央市民センター 第1会議室
福岡市中央区赤坂2丁目5−6 tel092−714−5521
受付:18時 開始18時30分 終了20時
相馬市で鮮魚店・スーパー「中島ストア」を営み、「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」の
原告団団長である中島孝さんが「原発なくそう!九州玄海訴訟」の原告として9月27日(金)に
佐賀地裁で行われる第6回口頭弁論に参加されます。そこで福島の漁業にも詳しい中島さんと
池上弁護士の対談形式で、汚染水の問題のついてお話していただきます。
TVや新聞等では語られない福島の現状を「福島の生の声」を福岡で聞きましょう!
裁判に参加できない方も是非!
九州玄海訴訟福島調査団が7月に行った福島現地調査の様子をスライドで紹介します。
【お問い合わせ】
福岡第一法律事務所 福岡市中央区大名2−10−29福岡ようきビル2階
tel:092−721−1211 fax:092−741−6638
mail:daiichi@f-daiichi.jp
「生業返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」原告団団長 中島孝さんトークライブ
「原発なくそう!九州玄海訴訟福島調査団からの現地報告」
9月26日(木)福岡市立中央市民センター 第1会議室
福岡市中央区赤坂2丁目5−6 tel092−714−5521
受付:18時 開始18時30分 終了20時
相馬市で鮮魚店・スーパー「中島ストア」を営み、「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」の
原告団団長である中島孝さんが「原発なくそう!九州玄海訴訟」の原告として9月27日(金)に
佐賀地裁で行われる第6回口頭弁論に参加されます。そこで福島の漁業にも詳しい中島さんと
池上弁護士の対談形式で、汚染水の問題のついてお話していただきます。
TVや新聞等では語られない福島の現状を「福島の生の声」を福岡で聞きましょう!
裁判に参加できない方も是非!
九州玄海訴訟福島調査団が7月に行った福島現地調査の様子をスライドで紹介します。
【お問い合わせ】
福岡第一法律事務所 福岡市中央区大名2−10−29福岡ようきビル2階
tel:092−721−1211 fax:092−741−6638
mail:daiichi@f-daiichi.jp
posted by 後藤富和 at 12:29| 環境
2013年09月09日
明日はterra cafe kenpou
明日10日(火)は、予定通り19:00-光円寺門徒会館にてterra cafe kenpouを行います。
今回は、
伊藤真氏の憲法講座のビデオを1時間見て
綾瀬はるかの「戦争を聞く」を見て意見交換を行います。
明日は、福岡教育大学大学院生(留学生)や、彼女の後輩留学生、小学校の元PTA役員さんも初めて参加します。
このところ、毎回、初参加の方が来られ、参加者がどんどん増えています。
初めてでも遠慮は不要です。
学習会の後は時間の都合がつくメンバーでビールを飲みます。
皆さんもterra cafeぜひご参加下さい。
今回は、
伊藤真氏の憲法講座のビデオを1時間見て
綾瀬はるかの「戦争を聞く」を見て意見交換を行います。
明日は、福岡教育大学大学院生(留学生)や、彼女の後輩留学生、小学校の元PTA役員さんも初めて参加します。
このところ、毎回、初参加の方が来られ、参加者がどんどん増えています。
初めてでも遠慮は不要です。
学習会の後は時間の都合がつくメンバーでビールを飲みます。
皆さんもterra cafeぜひご参加下さい。
posted by 後藤富和 at 10:58| 平和
【お知らせ】生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟 原告団団長 中島孝さんトークライブ

福島のいま、増え続ける汚染水
〜生業を返せ!地域を返せ!〜
■「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」
原告団団長 中島孝さん トークライブ
■原発なくそう!九州玄海訴訟福島調査団からの現地報告
【日時】2013年9月26日(木)受付18時 開始18時30分 終了20時
【場所】福岡市立中央市民センター 第一会議室 (福岡市中央区赤坂2−5−6 092-714-5521)
【参加費】無料
【問い合わせ先】福岡第一法律事務所 (担当 近藤弁護士・八木弁護士)
TEL092-721-1211 FAX092-741-6638
mail daiichi@f-daiichi.jp
福岡市中央区大名2−10−29−2F
原告でない方もどなたでも参加できます。
27日佐賀地裁での裁判に参加できない方も、是非ご参加ください。
posted by 後藤富和 at 14:35| ご案内
2013年09月11日
今夜のterra cafe
今夜はterra cafe kenpouでした。
今回は16名が参加。中国人留学生2人も参加。
前半は伊藤真氏の憲法講座のビデオ視聴。沖縄も原発も他人の犠牲の上に成り立つ幸せ。その幸せは本物じゃないのではないのか。少数派の思いを想像すること。映画「パッチギ」など。国籍や性別、社会的地位などに関わらず、人は人間として存在する以上かけがえのない価値がある。国のために個人が犠牲になることを国が国民に押し付けるのはやめよう。これが「個人主義」「個人の尊重」。憲法がいう「個人主義」は「利己主義」とは全く逆。他人の権利も尊重するということ。自民党の憲法改正草案は「個人の尊重」を否定している。立憲主義も否定。アメリカの政治家からは、日本の政治家はその程度かと思われている。この国で個人の尊重が確立するには50年、100年かかるかもしれない。この国では、人権が尊重されないだけでなく、責任も曖昧になる。誰も原発事故の責任を取らない。
人と違うこと、多様性を認めあえる寛容性がある社会を目指すのが憲法。
日本民族だけ、靖国史観を持っている人だけ、特定の宗教だけ、同じ肌の色の人だけ、同じ言葉のひとだけ、そういう一つの価値観だけで固まった社会は脆い。ただ、日本で暮らしていると、多様性を認めるということが難しい社会(出る杭は打たれる)。多様性を認めあえる社会の方が持続可能な発展性がある。憲法は多様性を認めている。小さな子どもの頃から意識すること。人と違っていいということを認めるのが憲法だと子どもの頃から意識すること。人と違っていることが素晴らしい。
一人一人をそのまま尊重する(人権の尊重)。一人一人の気持ちを吸い上げて物事を決める(民主主義)。一人一人の人権を打ち砕く戦争はいけない(平和主義)。
【憲法の目的】個人の尊重
【目的達成手段】人権の尊重、民主主義、平和主義
憲法は、国家機関を縛る制限規範。国家機関に権力を与える授権規範ではない。
日本国憲法の第1章が「天皇」となっているのは、天皇の権限を制限して、天皇に一切政治をさせない、天皇を縛ることに主眼がある。
第2章では軍隊を縛る。
王権と軍隊が人々を苦しめる原因だから、真っ先にこの二つを縛った。1章、2章で王権と軍隊を縛るのは、3章の人権尊重の前提。
憲法改正の要件が厳しいのは、憲法が最高法規である以上当たり前(硬性憲法)。そうでないと、憲法と矛盾する法律を作る時に同じ手続きで憲法を変えれば済むようになる。
憲法は、人権を保障するための法だから最高法規(97条)。そして、国民が、権力者、公務員を縛るための命令が憲法(立憲主義)。だから憲法尊重擁護義務は天皇以下の公務員が負っていて、国民はその中に入っていない。
しかし、自民党憲法改正草案は、97条を削除し、天皇を憲法尊重擁護義務から除外し国民に憲法尊重擁護義務を負わせている。立憲主義の全否定。世界でも特殊な国になる。近代国家ではなくなる。こんな憲法改正草案を作る自民党にはまともに憲法を勉強した人がいない。
「法の支配」と「法治主義」
「法の支配」は、専断的な国家権力の支配(人(王)の支配)を排し憲法で権力を縛ること。法律の支配ではなく、憲法の支配。法律は適正な合理的なものでなければならない。
「法治主義」は、行政は法律に従わなければならない。ここでいう法律は議会が作ったものであれば良く中身が適正かどうかは問わない。悪法もまた法なり。治安維持法、特高警察。
後半は、綾瀬はるかの「綾瀬はるか『戦争』をきく」を視聴。
94歳元助産師が見た原爆の真実。
救護被爆
異常児の出生(単眼、無頭症)
8/6夜、がれきの中のお産。爆心地から2kmの土手で避難してきた人がバタバタと死んでいく。絶望の中に、産声が響いた。出産した18歳の女性はそのまま死んだ。生まれた子は1月後に亡くなった。
戦争は男も女も子どもも関係なくみんなが深い傷を負う(綾瀬はるか)。
後半第2段は"ハイスクール国会"高校生が考えた「憲法」を視聴。
今回は16名が参加。中国人留学生2人も参加。
前半は伊藤真氏の憲法講座のビデオ視聴。沖縄も原発も他人の犠牲の上に成り立つ幸せ。その幸せは本物じゃないのではないのか。少数派の思いを想像すること。映画「パッチギ」など。国籍や性別、社会的地位などに関わらず、人は人間として存在する以上かけがえのない価値がある。国のために個人が犠牲になることを国が国民に押し付けるのはやめよう。これが「個人主義」「個人の尊重」。憲法がいう「個人主義」は「利己主義」とは全く逆。他人の権利も尊重するということ。自民党の憲法改正草案は「個人の尊重」を否定している。立憲主義も否定。アメリカの政治家からは、日本の政治家はその程度かと思われている。この国で個人の尊重が確立するには50年、100年かかるかもしれない。この国では、人権が尊重されないだけでなく、責任も曖昧になる。誰も原発事故の責任を取らない。
人と違うこと、多様性を認めあえる寛容性がある社会を目指すのが憲法。
日本民族だけ、靖国史観を持っている人だけ、特定の宗教だけ、同じ肌の色の人だけ、同じ言葉のひとだけ、そういう一つの価値観だけで固まった社会は脆い。ただ、日本で暮らしていると、多様性を認めるということが難しい社会(出る杭は打たれる)。多様性を認めあえる社会の方が持続可能な発展性がある。憲法は多様性を認めている。小さな子どもの頃から意識すること。人と違っていいということを認めるのが憲法だと子どもの頃から意識すること。人と違っていることが素晴らしい。
一人一人をそのまま尊重する(人権の尊重)。一人一人の気持ちを吸い上げて物事を決める(民主主義)。一人一人の人権を打ち砕く戦争はいけない(平和主義)。
【憲法の目的】個人の尊重
【目的達成手段】人権の尊重、民主主義、平和主義
憲法は、国家機関を縛る制限規範。国家機関に権力を与える授権規範ではない。
日本国憲法の第1章が「天皇」となっているのは、天皇の権限を制限して、天皇に一切政治をさせない、天皇を縛ることに主眼がある。
第2章では軍隊を縛る。
王権と軍隊が人々を苦しめる原因だから、真っ先にこの二つを縛った。1章、2章で王権と軍隊を縛るのは、3章の人権尊重の前提。
憲法改正の要件が厳しいのは、憲法が最高法規である以上当たり前(硬性憲法)。そうでないと、憲法と矛盾する法律を作る時に同じ手続きで憲法を変えれば済むようになる。
憲法は、人権を保障するための法だから最高法規(97条)。そして、国民が、権力者、公務員を縛るための命令が憲法(立憲主義)。だから憲法尊重擁護義務は天皇以下の公務員が負っていて、国民はその中に入っていない。
しかし、自民党憲法改正草案は、97条を削除し、天皇を憲法尊重擁護義務から除外し国民に憲法尊重擁護義務を負わせている。立憲主義の全否定。世界でも特殊な国になる。近代国家ではなくなる。こんな憲法改正草案を作る自民党にはまともに憲法を勉強した人がいない。
「法の支配」と「法治主義」
「法の支配」は、専断的な国家権力の支配(人(王)の支配)を排し憲法で権力を縛ること。法律の支配ではなく、憲法の支配。法律は適正な合理的なものでなければならない。
「法治主義」は、行政は法律に従わなければならない。ここでいう法律は議会が作ったものであれば良く中身が適正かどうかは問わない。悪法もまた法なり。治安維持法、特高警察。
後半は、綾瀬はるかの「綾瀬はるか『戦争』をきく」を視聴。
94歳元助産師が見た原爆の真実。
救護被爆
異常児の出生(単眼、無頭症)
8/6夜、がれきの中のお産。爆心地から2kmの土手で避難してきた人がバタバタと死んでいく。絶望の中に、産声が響いた。出産した18歳の女性はそのまま死んだ。生まれた子は1月後に亡くなった。
戦争は男も女も子どもも関係なくみんなが深い傷を負う(綾瀬はるか)。
後半第2段は"ハイスクール国会"高校生が考えた「憲法」を視聴。
posted by 後藤富和 at 00:35| 平和
2013年09月12日
今日のグリーンカーテン
9月12日(木)
事務所のグリーンカーテン
気が付けば6月分から更新できていません。
現在どうなっているのかというと
昨日9月11日の時点で

グリーンカーテンは青々と茂っています。
お花がポツポツとしか咲かないと心配していたところ、
昨日になって急に咲き始めました。


密集した葉の中で息苦しそうに次々に咲く朝顔たち。
そして今朝

さらに次々と咲き始めております。
日中はまだまだ暑い日が続いておりますが、
朝晩が涼しくなり秋が近づいているというのに
大橋法律事務所に夏がきました(笑)
事務所のグリーンカーテン
気が付けば6月分から更新できていません。
現在どうなっているのかというと
昨日9月11日の時点で
グリーンカーテンは青々と茂っています。
お花がポツポツとしか咲かないと心配していたところ、
昨日になって急に咲き始めました。
密集した葉の中で息苦しそうに次々に咲く朝顔たち。
そして今朝
さらに次々と咲き始めております。
日中はまだまだ暑い日が続いておりますが、
朝晩が涼しくなり秋が近づいているというのに
大橋法律事務所に夏がきました(笑)
posted by 後藤富和 at 13:43| グリーンカーテン2013
【映画】「二重被爆」上映会
毎週火曜日夜に天神で行っている憲法の学習会「terra cafe kenpou」では、今月28日(土)の長崎バスツアーの予習として、下記日程で映画「二重被爆」の上映を行います(憲法の学習も行います)。
ぜひご参加ください。
日時 9月17日(火)
場所 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3-12-15)
会費 無料
映画「二重被爆」
1945年8月、アメリカは既に戦意喪失の日本に対し、なぜ2度も原子爆弾を落としたのか?「二重被爆」の事実を通じて、人種や言葉を超え、原爆の非人道性を世界に伝える作品。語り・音楽は加藤登紀子さん。
ぜひご参加ください。
日時 9月17日(火)
場所 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3-12-15)
会費 無料
映画「二重被爆」
1945年8月、アメリカは既に戦意喪失の日本に対し、なぜ2度も原子爆弾を落としたのか?「二重被爆」の事実を通じて、人種や言葉を超え、原爆の非人道性を世界に伝える作品。語り・音楽は加藤登紀子さん。
posted by 後藤富和 at 22:03| 平和
2013年09月17日
terra cafe kenpou
今夜はterra cafe kenpouでした。18名が参加。
前半は、憲法の解説。憲法前文の法的意味を解説しました。
後半は、ドキュメンタリー映画「二重被爆」を上映しました。
学習後の懇親会も盛り上がって楽しかった。
来週は、長崎の弁護士が原爆症の認定問題についてお話しします。もちろん僕も参加します。皆さん、ご参加下さい。
毎週火曜日19時から、天神の光円寺門徒会館です。
前半は、憲法の解説。憲法前文の法的意味を解説しました。
後半は、ドキュメンタリー映画「二重被爆」を上映しました。
学習後の懇親会も盛り上がって楽しかった。
来週は、長崎の弁護士が原爆症の認定問題についてお話しします。もちろん僕も参加します。皆さん、ご参加下さい。
毎週火曜日19時から、天神の光円寺門徒会館です。
posted by 後藤富和 at 23:44| 平和
2013年09月19日
よみがえれ!有明海国会通信176号
よみがえれ!有明海・国会通信176号を大橋法律事務所ホームページにアップしました。
http://www.ohashilo.jp/active/ariake_pdf/ariake176.pdf
国営諫早湾干拓事業の潮受堤防の開放期限まであと3か月です。
バックナンバーはこちら。
http://www.ohashilo.jp/active/ariake.html
http://www.ohashilo.jp/active/ariake_pdf/ariake176.pdf
国営諫早湾干拓事業の潮受堤防の開放期限まであと3か月です。
バックナンバーはこちら。
http://www.ohashilo.jp/active/ariake.html
posted by 後藤富和 at 09:37| 有明海
2013年09月20日
風船プロジェクトの取り組みが取り上げられました
原発なくそう!九州玄海訴訟・風船プロジェクトの取り組みが、兵庫県淡路市議会で取り上げられました。



風船プロジェクトファイナルは10月27日(日)です。
天神からバスも出ます。
最終回です。
ぜひご参加ください。



風船プロジェクトファイナルは10月27日(日)です。
天神からバスも出ます。
最終回です。
ぜひご参加ください。
posted by 後藤富和 at 15:35| 環境
2013年09月23日
憲法講演
中間市中央公民館で行われている「第16回 中間・遠賀地区 母親大会」の第2分科会で講師として憲法の話をしました。
会場は準備した椅子が足りなくなるほどの盛況でした。
私からは「戦争の足音が聞こえる~いま、憲法を考える」と題し、憲法とは何か、自民党憲法改正草案が描く未来(戦争)について話をしました。
私の講演の後、ゲストスピーカーの神田静子さんに、昭和19年10月に18歳で従軍看護婦として招集され中国大陸に派遣され、昭和21年4月に博多港に引き上げてくるまでの体験をお話しいただきました。神田さんは、招集されるまで国民学校(小学校)の養護訓導(教諭)でした。
神田さんは最後に「もう戦争という言葉さえ口にしたくないと思う」と述べられました。
講演後、会場から活発な質疑がなされました。
会場は準備した椅子が足りなくなるほどの盛況でした。
私からは「戦争の足音が聞こえる~いま、憲法を考える」と題し、憲法とは何か、自民党憲法改正草案が描く未来(戦争)について話をしました。
私の講演の後、ゲストスピーカーの神田静子さんに、昭和19年10月に18歳で従軍看護婦として招集され中国大陸に派遣され、昭和21年4月に博多港に引き上げてくるまでの体験をお話しいただきました。神田さんは、招集されるまで国民学校(小学校)の養護訓導(教諭)でした。
神田さんは最後に「もう戦争という言葉さえ口にしたくないと思う」と述べられました。
講演後、会場から活発な質疑がなされました。
posted by 後藤富和 at 13:39| 平和
2013年09月24日
【お知らせ】福岡女性九条の会集会のご案内
古今亭菊千代さん
「平和でなければ落語は笑ってもらえない」(お話と落語)

【日時】2013年10月5日(土)開場13:30 開演14:00
【場所】天神ビル 福岡市中央区天神2-12-1 0120-323-920
【会場費】1000円(大学生以下は無料)
【託児】要予約 一週間前までに事務局までご連絡してください。
【主催】福岡女性九条の会
【お問い合わせ先】福岡女性九条の会(弁護士邦人女性協同法律事務所「九条の会」係)
TEL 092-751-8222 FAX 092-751-8220
URL http://www.f-josei9.org/
どなたでも参加できます。
是非、ご参加ください。
「平和でなければ落語は笑ってもらえない」(お話と落語)

【日時】2013年10月5日(土)開場13:30 開演14:00
【場所】天神ビル 福岡市中央区天神2-12-1 0120-323-920
【会場費】1000円(大学生以下は無料)
【託児】要予約 一週間前までに事務局までご連絡してください。
【主催】福岡女性九条の会
【お問い合わせ先】福岡女性九条の会(弁護士邦人女性協同法律事務所「九条の会」係)
TEL 092-751-8222 FAX 092-751-8220
URL http://www.f-josei9.org/
どなたでも参加できます。
是非、ご参加ください。
posted by 後藤富和 at 15:37| ご案内
2013年09月25日
昨夜はterra cafe kenpou
昨夜はterra cafe kenpouでした。15名が参加。
前半は「綾瀬はるか『戦争』を聞く」を視聴。
6歳の少女が見た"変わり果てた長崎"
原爆症で寝たきりとなった父親を介護しなければならなくなった6歳の少女。谷恵美子さんのお話。
恵美子さんは6歳から12年間、父親を介護します。
父は、幼い子に苦労をかけている現実から脱却しようと、娘を連れて自殺を図ります。異変に気づいた娘が父を止めます。
後半は、魚住昭三弁護士(長崎)を講師に原爆症の問題についてお話しいただきました。
魚住弁護士が聴き取った被爆者の体験、ヨルダンやシリアで見聞きした劣化ウラン弾の影響。
将来の福島。
ワシントンで9.11を経験した話、そして、戦争に向かう機運。
terra cafe kenpouでは、平和、脱核兵器、脱原発の学習として9/28長崎日帰りバスツアーを企画しました。
この企画の発端は、20代30代の若者たちが感じた憲法の改正に対する不安感にあります。
現在、続々と申し込みが来ておりますが、まだ席に余裕があります。
ご家族やお友達お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。お申し込みお待ちしています。
日時 9月28日(土)8時(天神日銀前集合)、20時30分帰着予定
内容 原爆資料館見学、被爆者からのお話し、岡まさはる長崎平和資料館見学、同所で被爆二世からのお話しなど。
なお、昼食は「長崎ちゃんぽん」、夕食は「絶品海鮮丼」を予定しています。
参加費用 5000円 (交通費+入館料+昼夕食)
中学生以下2500円
主催 原発なくそう!中央区の会、terra cafe kenpou 、中央区九条の会
申し込み 大橋法律事務所 http://www.ohashilo.jp/mail.html
前半は「綾瀬はるか『戦争』を聞く」を視聴。
6歳の少女が見た"変わり果てた長崎"
原爆症で寝たきりとなった父親を介護しなければならなくなった6歳の少女。谷恵美子さんのお話。
恵美子さんは6歳から12年間、父親を介護します。
父は、幼い子に苦労をかけている現実から脱却しようと、娘を連れて自殺を図ります。異変に気づいた娘が父を止めます。
後半は、魚住昭三弁護士(長崎)を講師に原爆症の問題についてお話しいただきました。
魚住弁護士が聴き取った被爆者の体験、ヨルダンやシリアで見聞きした劣化ウラン弾の影響。
将来の福島。
ワシントンで9.11を経験した話、そして、戦争に向かう機運。
terra cafe kenpouでは、平和、脱核兵器、脱原発の学習として9/28長崎日帰りバスツアーを企画しました。
この企画の発端は、20代30代の若者たちが感じた憲法の改正に対する不安感にあります。
現在、続々と申し込みが来ておりますが、まだ席に余裕があります。
ご家族やお友達お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。お申し込みお待ちしています。
日時 9月28日(土)8時(天神日銀前集合)、20時30分帰着予定
内容 原爆資料館見学、被爆者からのお話し、岡まさはる長崎平和資料館見学、同所で被爆二世からのお話しなど。
なお、昼食は「長崎ちゃんぽん」、夕食は「絶品海鮮丼」を予定しています。
参加費用 5000円 (交通費+入館料+昼夕食)
中学生以下2500円
主催 原発なくそう!中央区の会、terra cafe kenpou 、中央区九条の会
申し込み 大橋法律事務所 http://www.ohashilo.jp/mail.html
posted by 後藤富和 at 08:11| 平和
【お知らせ】風船プロジェクト第4弾ファイナル!!
【拡散・転送大歓迎♪】
いよいよ最終回!
【風船プロジェクト第4弾ファイナルのお知らせ】

もしも玄海原発が再稼働され、過酷事故が起こったら、
放射性物質はどのように、そしてどこまで飛散し、
私たちに降りそそいでくるのでしょうか?
市民の手で検証する「風船プロジェクト」。
これまで3回取組んできましたが、いよいよファイナルです。
過去最大規模の参加でファイナルを成功させましょう!
日 時:10月27日 (日)12:00〜受付開始、14:00〜 リリース予定
場 所:波戸岬海のトリム海浜公園
参加費:大人 500円 高校生以下 無料
主 催:「風船プロジェクト」実行委員会
協 賛:山口内科クリニック、福岡の貝・ハンナ&マイケル、
宗像・福津・古賀・新宮地区母親退会実行委員会 、
新日本婦人の会佐賀県本部、手作り製本機「ブナぶな考房」、
原発なくそう!九州玄海訴訟 原告の会:「中央区の会」
(計6団体/9月20日現在)
※紙風船500個を飛ばします。メッセージカードには国産竹パルプ100%紙を使用するなど、
できる限り環境に配慮しております。
※当日、物販・署名活動・ビラ配り等をご希望の団体・個人様は、
事前に実行委員会の承諾が必要となります。
事前にご連絡ください。
※原告でなくても、もちろん参加OKです!
※福岡天神地区、北九州地区より専用バスを運行する予定です。お問い合せ下さい。
※詳細、最新情報は⇒http://genkai-balloonpro.jimdo.com/
※第3弾の風船プロジェクトレポート↓↓

■カンパのお願い(振込の場合:1口 1,000円〜)
風船プロジェクトの実施にあたり、諸々の経費がかかります。
是非、カンパで応援よろしくお願いいたします!
■協賛のお願い(1口 5,000円〜)
このプロジェクトへ賛同して頂ける法人、団体、店舗様を募集しております。
一口 5,000円より。ご協力いただいた全てのお名前は当日参加者に公表させていただきます。
また当イベントのホームページ、Twitter、Facebookでも公表いたします。
当日間に合わない場合はネット上のみの公表となります。ご了承ください。
【振込口座】
西日本シティ銀行 前原(まえばる)支店 普通1815643
風船プロジェクト 代表 柳原 憲文
(フウセンプロジェクト ダイヒョウ ヤナギハラノリフミ)
※協賛の場合は協賛名を、下記E-mailにてお知らせください。
※決算はHPやFB等で公開いたし ます。
【連絡先】
「風船プロジェクト」実行委員会(担当:稲村・田中・柳原)
佐賀中央法律事務所
TEL 0952-25-3121
FAX 0952-25-3123
E-mail:balloonpro2012@gmail.com
URL:http://genkai-balloonpro.jimdo.com/
いよいよ最終回!
【風船プロジェクト第4弾ファイナルのお知らせ】

もしも玄海原発が再稼働され、過酷事故が起こったら、
放射性物質はどのように、そしてどこまで飛散し、
私たちに降りそそいでくるのでしょうか?
市民の手で検証する「風船プロジェクト」。
これまで3回取組んできましたが、いよいよファイナルです。
過去最大規模の参加でファイナルを成功させましょう!
日 時:10月27日 (日)12:00〜受付開始、14:00〜 リリース予定
場 所:波戸岬海のトリム海浜公園
参加費:大人 500円 高校生以下 無料
主 催:「風船プロジェクト」実行委員会
協 賛:山口内科クリニック、福岡の貝・ハンナ&マイケル、
宗像・福津・古賀・新宮地区母親退会実行委員会 、
新日本婦人の会佐賀県本部、手作り製本機「ブナぶな考房」、
原発なくそう!九州玄海訴訟 原告の会:「中央区の会」
(計6団体/9月20日現在)
※紙風船500個を飛ばします。メッセージカードには国産竹パルプ100%紙を使用するなど、
できる限り環境に配慮しております。
※当日、物販・署名活動・ビラ配り等をご希望の団体・個人様は、
事前に実行委員会の承諾が必要となります。
事前にご連絡ください。
※原告でなくても、もちろん参加OKです!
※福岡天神地区、北九州地区より専用バスを運行する予定です。お問い合せ下さい。
※詳細、最新情報は⇒http://genkai-balloonpro.jimdo.com/
※第3弾の風船プロジェクトレポート↓↓

■カンパのお願い(振込の場合:1口 1,000円〜)
風船プロジェクトの実施にあたり、諸々の経費がかかります。
是非、カンパで応援よろしくお願いいたします!
■協賛のお願い(1口 5,000円〜)
このプロジェクトへ賛同して頂ける法人、団体、店舗様を募集しております。
一口 5,000円より。ご協力いただいた全てのお名前は当日参加者に公表させていただきます。
また当イベントのホームページ、Twitter、Facebookでも公表いたします。
当日間に合わない場合はネット上のみの公表となります。ご了承ください。
【振込口座】
西日本シティ銀行 前原(まえばる)支店 普通1815643
風船プロジェクト 代表 柳原 憲文
(フウセンプロジェクト ダイヒョウ ヤナギハラノリフミ)
※協賛の場合は協賛名を、下記E-mailにてお知らせください。
※決算はHPやFB等で公開いたし ます。
【連絡先】
「風船プロジェクト」実行委員会(担当:稲村・田中・柳原)
佐賀中央法律事務所
TEL 0952-25-3121
FAX 0952-25-3123
E-mail:balloonpro2012@gmail.com
URL:http://genkai-balloonpro.jimdo.com/
posted by 後藤富和 at 10:37| ご案内
【ご案内】秘密保護法 講演会のお知らせ
秘密保護法で社会はどう変わるのか?
-外交・防衛の決定権現のゆくえ-


【日時】2013年10月26日(土)14:00〜16:00
【会場】福岡県弁護士会 県弁護士会館3階ホール
【参加費】無料
【当日の内容】14:10〜14:30 基調報告「秘密保護法の問題点」弁護士 近藤恭典 先生(福岡県弁護士会)
14:30〜16:00 講演「日米地位協定とは何か」前泊博盛 先生(沖縄国際大学 教授)
どなたでも参加できます。
是非、ご参加ください。
-外交・防衛の決定権現のゆくえ-


【日時】2013年10月26日(土)14:00〜16:00
【会場】福岡県弁護士会 県弁護士会館3階ホール
【参加費】無料
【当日の内容】14:10〜14:30 基調報告「秘密保護法の問題点」弁護士 近藤恭典 先生(福岡県弁護士会)
14:30〜16:00 講演「日米地位協定とは何か」前泊博盛 先生(沖縄国際大学 教授)
どなたでも参加できます。
是非、ご参加ください。
posted by 後藤富和 at 11:04| ご案内
2013年09月26日
【ご案内】長崎バスツアー(9月28日)
原発なくそう!中央区の会で企画した、9/28長崎日帰りバスツアーですが、席に若干の余裕があります。
どなたでもご参加いただけます。ご家族やお友達お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。
お申し込みお待ちしています。
日時 9月28日(土)8時(天神日銀前集合)、20時30分帰着予定
内容 原爆資料館見学、被爆者からのお話し、岡まさはる長崎平和資料館見学、被爆二世からのお話しなど。
なお、昼食は「長崎ちゃんぽん」、夕食は「絶品海鮮丼」を予定しています。
参加費用 5000円 (交通費+入館料+昼夕食)
中学生以下2500円
主催 原発なくそう!中央区の会、terra cafe kenpou 、中央区九条の会
申し込み 大橋法律事務所まで
http://www.ohashilo.jp/mail.html
どなたでもご参加いただけます。ご家族やお友達お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。
お申し込みお待ちしています。
日時 9月28日(土)8時(天神日銀前集合)、20時30分帰着予定
内容 原爆資料館見学、被爆者からのお話し、岡まさはる長崎平和資料館見学、被爆二世からのお話しなど。
なお、昼食は「長崎ちゃんぽん」、夕食は「絶品海鮮丼」を予定しています。
参加費用 5000円 (交通費+入館料+昼夕食)
中学生以下2500円
主催 原発なくそう!中央区の会、terra cafe kenpou 、中央区九条の会
申し込み 大橋法律事務所まで
http://www.ohashilo.jp/mail.html
posted by 後藤富和 at 14:17| 平和
福島からの訴え
「福島のいま、増え続ける汚染水〜生業を返せ!地域を返せ!〜」トークライブに参加しました。
ゲストは相馬市で鮮魚店(中島ストア)を営む中島孝さん(「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟原告団長」)
中島さんの言葉
子どもが白血病になるかもしれない、遺伝上奇形の恐れもある。いつまでそんな不安の中で暮らせばいいのか。安倍総理は人でなし、強い憤りを感じている。
地域に唯一残ったスーパーとして食料や水を求める人が殺到した。自分がこの店を閉めたら餓死者が出ただろうし、暴動が起きただろう。
お金や、仕事、引っ越しした先でのイジメなどの問題で避難できない住民も多い。父親を残して母子避難する家庭も多い。避難をしたくても避難できない人が多い。
営業損害が出ている人には補償金が出ている。しかし、屁理屈を捏ねられて一円も補償金がおりていない事業者も多い。漁業者に対しては事故直後から漁獲平均83%の補償金がおりている。しかし、漁業の先行きが見えない。補償金がおりても漁ができないんじゃ人間性の否定。若い漁師、後継者をどうするか深刻な悩み。後継者が漁ができずガレキ処理で働いている。
原発から20kmを超える範囲の避難者は「自主的避難」として、ほとんど捨て置かれている。
玄海原発訴訟の戦いには感動した。九州にいながら福島の被害を自分のこととして想像力を働かせ、裁判にまで踏み切った皆さんに心より敬意を評します。
地域がまるごと破壊されるようなことは許してはいけない。ここで立ち上がらないとどうするのだ。
再稼働なんて、どのツラ下げて言ってるんだ。あの顔を張り倒してやりたい。
放射能の危険を目の前で見ている福島県民は皆さんに恥じないよう頑張っていきたい。
隠蔽をもって収束をでっち上げる政府とマスコミに対しては、憤りを感じる。
日本中から支援物資をいただいたが、行政の中でそれを分配するシステムがうまくいっておらず、配布されずに放置された例が多い。
この経験を踏まえることが、今後全国で起こるであろう地震などへの備えとして必要。
ゲストは相馬市で鮮魚店(中島ストア)を営む中島孝さん(「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟原告団長」)
中島さんの言葉
子どもが白血病になるかもしれない、遺伝上奇形の恐れもある。いつまでそんな不安の中で暮らせばいいのか。安倍総理は人でなし、強い憤りを感じている。
地域に唯一残ったスーパーとして食料や水を求める人が殺到した。自分がこの店を閉めたら餓死者が出ただろうし、暴動が起きただろう。
お金や、仕事、引っ越しした先でのイジメなどの問題で避難できない住民も多い。父親を残して母子避難する家庭も多い。避難をしたくても避難できない人が多い。
営業損害が出ている人には補償金が出ている。しかし、屁理屈を捏ねられて一円も補償金がおりていない事業者も多い。漁業者に対しては事故直後から漁獲平均83%の補償金がおりている。しかし、漁業の先行きが見えない。補償金がおりても漁ができないんじゃ人間性の否定。若い漁師、後継者をどうするか深刻な悩み。後継者が漁ができずガレキ処理で働いている。
原発から20kmを超える範囲の避難者は「自主的避難」として、ほとんど捨て置かれている。
玄海原発訴訟の戦いには感動した。九州にいながら福島の被害を自分のこととして想像力を働かせ、裁判にまで踏み切った皆さんに心より敬意を評します。
地域がまるごと破壊されるようなことは許してはいけない。ここで立ち上がらないとどうするのだ。
再稼働なんて、どのツラ下げて言ってるんだ。あの顔を張り倒してやりたい。
放射能の危険を目の前で見ている福島県民は皆さんに恥じないよう頑張っていきたい。
隠蔽をもって収束をでっち上げる政府とマスコミに対しては、憤りを感じる。
日本中から支援物資をいただいたが、行政の中でそれを分配するシステムがうまくいっておらず、配布されずに放置された例が多い。
この経験を踏まえることが、今後全国で起こるであろう地震などへの備えとして必要。
posted by 後藤富和 at 20:12| 環境
2013年09月27日
韓国反核市民訪問団との福岡国際連帯交流のお知らせ
韓国反核市民訪問団との福岡国際連帯交流のお知らせ
アジアの脱原発に興味ある方、韓国や韓国語に関心がある方、ぜひご参加ください。
私も参加します。
韓国からの市民団体が来福
原発問題を国際連帯で問おう!!
脱核アジア平和のための西日本原発地域 日韓市民ツアー
韓国反核市民訪問団との福岡国際連帯交流
日時 2013年9月29日(日)
集合 午後6時
交流会 午後6時30分から8時30分まで
会場 福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1-12-45)
参加費 資料代300円、夕食お菓子代700円
主催 脱核日韓市民ツアー福岡交流準備会
連絡先 木村公一(090-6410-3311)
どなたでもご参加いただけます。
http://ermite.just-size.net/nnaa/130929fukuoka.pdf
アジアの脱原発に興味ある方、韓国や韓国語に関心がある方、ぜひご参加ください。
私も参加します。
韓国からの市民団体が来福
原発問題を国際連帯で問おう!!
脱核アジア平和のための西日本原発地域 日韓市民ツアー
韓国反核市民訪問団との福岡国際連帯交流
日時 2013年9月29日(日)
集合 午後6時
交流会 午後6時30分から8時30分まで
会場 福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1-12-45)
参加費 資料代300円、夕食お菓子代700円
主催 脱核日韓市民ツアー福岡交流準備会
連絡先 木村公一(090-6410-3311)
どなたでもご参加いただけます。
http://ermite.just-size.net/nnaa/130929fukuoka.pdf
posted by 後藤富和 at 09:16| 環境
福島からの意見陳述
本日、佐賀地裁で行われた「原発なくそう!九州玄海訴訟」口頭弁論期日において、福島県相馬市で鮮魚店を営む中島孝さんが意見陳述を行いました。
以下に引用します。
原告を代表して意見陳述を行います。
1 私は、1984(昭和59)年から28年間、福島第一原発から北に約40qの距離に位置する福島県相馬市でスーパー「中島ストア」を経営してきました。店から1q弱のところに太平洋に面して松川浦という入り江があり、相馬原釜漁港があります。
私は、漁港を利用する漁師たちが運営する相馬双葉漁協の市場に毎朝かよって、新鮮なヒラメやカレイを仕入れ、地元のお客さんのみならず、全国のお得意さんに宅急便で送っていました。皆さんから「おいしい、おいしい」と相馬の魚にお褒めを頂いて参りました。私の生きがいでした。
しかし、2011(平成23)年3月11日の原発事故により、地元相馬の魚を中心としたこの営みは、大きく捻じ曲がってしまいました。事故から2年半が経過した今でも、かつての商売の形を再建できるめどは、全く立ちません。
2 大地震、大津波の翌日、あの爆発が起きました。
私の店の近くまで津波が押し寄せ、ほぼ地域は壊滅、ライフラインも寸断されました。私の店は、津波の最前線に唯一残った店となり、水や食べ物を求める人びとでごった返し、私は、押し寄せるお客さんにおにぎりを握ったり、塩鮭をさばいたりの作業に追われていました
そんななか、私の家内から、「南相馬市の実家の弟の話だと、実家でも役所が用意したバスに乗って家族全員で避難するそうだ。」と聞きました。爆発した原発から放射能が迫ってくる恐ろしさを、地域住民もひしひしと感じていました。相馬市では、そのころ市長が「籠城」を決めた、つまり、自治体としての避難はしないという報道がありました。しかし、16日、17日頃になると、私の店がある刈敷田という500世帯ほどの団地の中で、ところどころの家の窓に、夜になっても明かりが灯らないようになりました。市長の決定にもかかわらず、不安を感じる家族が一軒、また一軒と避難を始めたのです。
家内に「地域には多くの人が残っている。息子はまだ若いので避難させたいと思うが、店がなくなったら地域には餓死者が出るかもしれない。どうする?」と聞くと、家内は「一人暮らしのお年寄りもいるし、最後まで二人だけでも残って、何とか店を続けよう。」と言います。
27歳の息子に「お前だけでも避難させたい。」と言うと、息子は、しばらく考えて「どこに逃げても放射能に追われる。だったら残って店をやる。」と言うのです。息子の将来の安全にとってどうなのかと、親として心にトゲが残りました。
私は、こうした状況が続く中、原発はもう止まるもの、無くなるものと思っていました。ところが、民主党政権は再稼動を決定し、大飯原発が動き出しました。
事故は終わっていないのに、国も電力会社も、フクシマから何も学ばないのか、また第二のフクシマを引き起こすつもりなのか、との強い怒りから、2013(平成25)年3月11日に福島地裁に提訴した「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の原告団長を引き受けました。
3 原発は、一旦事故を起こせば取り返しがつきません。言葉に尽くせぬ大変な事態を、我々は福島において日々体験しています。
(1) 避難指示区域の浪江町は、全町民が避難を余儀なくされています。10数軒の畜産農家が、隣の南相馬市の仮設住宅などから通ってきて、生き延びた牛たちに共同で餌をやり続けています。避難指示が出たとき、牛舎に牛をつないだままで避難したため、多くの牛たちが餓死しました。放し飼いされていたおかげで生き延びた牛たちの殺処分が始まったとき、彼らは、「これは証拠隠滅になってしまう。牛たちを生き延びさせ、生体にどういう影響が出てくるか、研究者に提供して調査をつづけ、まぎれもない証言者として、原発事故の惨状を告発し続けてもらう。」そう、心に決めたそうです。
しかし、彼らが美味しい牛乳を搾って販売したり、霜降りの和牛を出荷できる日が再び来るのかどうかは、誰にもわかりません。
(2) 海岸線から内陸に入ると、まるで、家の中から前掛けをしたおばあさんが出てきそうな、あるいは子供たちがボールを蹴りながら走り出てきそうな、暮らしの匂いがそのまま残った家並みが、いたるところにあります。しかし、そこに人は住んでいないのです。誰もいないのです。
そんな場所で自宅の庭に花を植えている人を見かけたことがあります。聞いてみると、「隣の市で仮設住宅暮らしをしているけど、いつ戻れるかわからない。家は荒れ放題だが、修理もできない。せめて朽ち果てていく我が家に花だけでも飾って綺麗にしておいてやりたい。」と言います。
(3) 私の住む相馬市では、水道の水源は、放射線量の高い山中のダムです。市役所の説明では水道水は安全とのことですが、市民は不安に思い、ペットボトルの水でご飯を炊き、みそ汁を作る家庭が現在も多くあります。お風呂にしか水道を使わないと言うのです。生活費も当然跳ね上がります。
水道水を飲むか飲まないかをめぐって市民の中に分断があります。放射能を心配し過ぎて危険だと騒ぐから、風評も収まらないし復興も進まないのだ、という意見の市民もいるのです。地元産の農水産品についても同じです。家庭内で、地元産を食べたいおじいさんおばあさんと、自分も食べたくないし、子供にも決して食べさせたくない息子夫婦との感情のすれ違い、断絶があります。
長期にわたる低線量被ばくの健康被害について、見解が対立している状況です。やむを得ず、被災者がそれぞれ判断し、対策を取るため、こういう対立や分断は止むことなく生じています。
4 地域がまるごと失われ、暮らしが根こそぎなくなってしまうこと。明日を信じることができないということ。ここまで頑張れば救われる、という励みを持てずに暮らすこと。福島に住んで、日々我々が直面しているのは、こういうことです。
この玄海原発差し止め訴訟において、原告が抱いているのは、こういう事態をここ九州でも引き起こしてはならないという強い思いです。私が福島からこの裁判に参加したのも、同じ事故を二度と起こしてはならないという強い憤りからです。原発を再稼働するということは、半永久的に続く福島の被害を容認するということです。再び事故が起きることを容認することです。そんなことは断じて許すわけにはいきません。
福島のこの2年半は、原発が持つ異質の危険性をはっきりと表しています。汚染水の海への流出、汚染水貯蔵タンクからの度重なる漏出など、収束とは程遠い状況です。安倍首相がIOC総会で安全だ、コントロールされていると強弁しても、次々に起きている被害がそうではないと証明しています。
放射能の危険におびえることのない平穏な環境で生活をすることは、我々の最も基本の権利です。
社会の命運を決するであろう此の時に、幸せな社会を造ろうと努力する人びとの背中を押し、勇気を鼓舞するような、そしてまた、人類史の画期となったと後世語り継がれるような、熱意と正義にあふれる裁判所のご判断を心からお願い申し上げまして、原告を代表しての陳述と致します。
以下に引用します。
原告を代表して意見陳述を行います。
1 私は、1984(昭和59)年から28年間、福島第一原発から北に約40qの距離に位置する福島県相馬市でスーパー「中島ストア」を経営してきました。店から1q弱のところに太平洋に面して松川浦という入り江があり、相馬原釜漁港があります。
私は、漁港を利用する漁師たちが運営する相馬双葉漁協の市場に毎朝かよって、新鮮なヒラメやカレイを仕入れ、地元のお客さんのみならず、全国のお得意さんに宅急便で送っていました。皆さんから「おいしい、おいしい」と相馬の魚にお褒めを頂いて参りました。私の生きがいでした。
しかし、2011(平成23)年3月11日の原発事故により、地元相馬の魚を中心としたこの営みは、大きく捻じ曲がってしまいました。事故から2年半が経過した今でも、かつての商売の形を再建できるめどは、全く立ちません。
2 大地震、大津波の翌日、あの爆発が起きました。
私の店の近くまで津波が押し寄せ、ほぼ地域は壊滅、ライフラインも寸断されました。私の店は、津波の最前線に唯一残った店となり、水や食べ物を求める人びとでごった返し、私は、押し寄せるお客さんにおにぎりを握ったり、塩鮭をさばいたりの作業に追われていました
そんななか、私の家内から、「南相馬市の実家の弟の話だと、実家でも役所が用意したバスに乗って家族全員で避難するそうだ。」と聞きました。爆発した原発から放射能が迫ってくる恐ろしさを、地域住民もひしひしと感じていました。相馬市では、そのころ市長が「籠城」を決めた、つまり、自治体としての避難はしないという報道がありました。しかし、16日、17日頃になると、私の店がある刈敷田という500世帯ほどの団地の中で、ところどころの家の窓に、夜になっても明かりが灯らないようになりました。市長の決定にもかかわらず、不安を感じる家族が一軒、また一軒と避難を始めたのです。
家内に「地域には多くの人が残っている。息子はまだ若いので避難させたいと思うが、店がなくなったら地域には餓死者が出るかもしれない。どうする?」と聞くと、家内は「一人暮らしのお年寄りもいるし、最後まで二人だけでも残って、何とか店を続けよう。」と言います。
27歳の息子に「お前だけでも避難させたい。」と言うと、息子は、しばらく考えて「どこに逃げても放射能に追われる。だったら残って店をやる。」と言うのです。息子の将来の安全にとってどうなのかと、親として心にトゲが残りました。
私は、こうした状況が続く中、原発はもう止まるもの、無くなるものと思っていました。ところが、民主党政権は再稼動を決定し、大飯原発が動き出しました。
事故は終わっていないのに、国も電力会社も、フクシマから何も学ばないのか、また第二のフクシマを引き起こすつもりなのか、との強い怒りから、2013(平成25)年3月11日に福島地裁に提訴した「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の原告団長を引き受けました。
3 原発は、一旦事故を起こせば取り返しがつきません。言葉に尽くせぬ大変な事態を、我々は福島において日々体験しています。
(1) 避難指示区域の浪江町は、全町民が避難を余儀なくされています。10数軒の畜産農家が、隣の南相馬市の仮設住宅などから通ってきて、生き延びた牛たちに共同で餌をやり続けています。避難指示が出たとき、牛舎に牛をつないだままで避難したため、多くの牛たちが餓死しました。放し飼いされていたおかげで生き延びた牛たちの殺処分が始まったとき、彼らは、「これは証拠隠滅になってしまう。牛たちを生き延びさせ、生体にどういう影響が出てくるか、研究者に提供して調査をつづけ、まぎれもない証言者として、原発事故の惨状を告発し続けてもらう。」そう、心に決めたそうです。
しかし、彼らが美味しい牛乳を搾って販売したり、霜降りの和牛を出荷できる日が再び来るのかどうかは、誰にもわかりません。
(2) 海岸線から内陸に入ると、まるで、家の中から前掛けをしたおばあさんが出てきそうな、あるいは子供たちがボールを蹴りながら走り出てきそうな、暮らしの匂いがそのまま残った家並みが、いたるところにあります。しかし、そこに人は住んでいないのです。誰もいないのです。
そんな場所で自宅の庭に花を植えている人を見かけたことがあります。聞いてみると、「隣の市で仮設住宅暮らしをしているけど、いつ戻れるかわからない。家は荒れ放題だが、修理もできない。せめて朽ち果てていく我が家に花だけでも飾って綺麗にしておいてやりたい。」と言います。
(3) 私の住む相馬市では、水道の水源は、放射線量の高い山中のダムです。市役所の説明では水道水は安全とのことですが、市民は不安に思い、ペットボトルの水でご飯を炊き、みそ汁を作る家庭が現在も多くあります。お風呂にしか水道を使わないと言うのです。生活費も当然跳ね上がります。
水道水を飲むか飲まないかをめぐって市民の中に分断があります。放射能を心配し過ぎて危険だと騒ぐから、風評も収まらないし復興も進まないのだ、という意見の市民もいるのです。地元産の農水産品についても同じです。家庭内で、地元産を食べたいおじいさんおばあさんと、自分も食べたくないし、子供にも決して食べさせたくない息子夫婦との感情のすれ違い、断絶があります。
長期にわたる低線量被ばくの健康被害について、見解が対立している状況です。やむを得ず、被災者がそれぞれ判断し、対策を取るため、こういう対立や分断は止むことなく生じています。
4 地域がまるごと失われ、暮らしが根こそぎなくなってしまうこと。明日を信じることができないということ。ここまで頑張れば救われる、という励みを持てずに暮らすこと。福島に住んで、日々我々が直面しているのは、こういうことです。
この玄海原発差し止め訴訟において、原告が抱いているのは、こういう事態をここ九州でも引き起こしてはならないという強い思いです。私が福島からこの裁判に参加したのも、同じ事故を二度と起こしてはならないという強い憤りからです。原発を再稼働するということは、半永久的に続く福島の被害を容認するということです。再び事故が起きることを容認することです。そんなことは断じて許すわけにはいきません。
福島のこの2年半は、原発が持つ異質の危険性をはっきりと表しています。汚染水の海への流出、汚染水貯蔵タンクからの度重なる漏出など、収束とは程遠い状況です。安倍首相がIOC総会で安全だ、コントロールされていると強弁しても、次々に起きている被害がそうではないと証明しています。
放射能の危険におびえることのない平穏な環境で生活をすることは、我々の最も基本の権利です。
社会の命運を決するであろう此の時に、幸せな社会を造ろうと努力する人びとの背中を押し、勇気を鼓舞するような、そしてまた、人類史の画期となったと後世語り継がれるような、熱意と正義にあふれる裁判所のご判断を心からお願い申し上げまして、原告を代表しての陳述と致します。
posted by 後藤富和 at 15:52| 環境
2013年09月29日
長崎バスツアー
昨日は、terra cafe kenpou企画(原発なくそう!中央区の会、中央区九条の会共催)で長崎平和バスツアーを開催しました。中国人留学生も含め約30名が参加しました。

午前中長崎原爆資料館を見学。





午後は長崎原爆資料館で下平作江さんからお話を伺いました。

その後、被害の歴史だけでなくこの国の加害の歴史を学ぶために岡まさはる記念長崎平和資料館を見学しました。



以下は下平さんのお話しを聴きながら打った僕のメモ。
昭和9年に満州で生まれた。
父は満鉄勤務。
3歳の時、父は現地で殺された。
叔父が長崎に連れて帰ってくれた。
長崎市駒場町(現、松山町)で暮らしていた。
昭和16年、城山国民学校入学。
この年、太平洋戦争突入。
その内、靴がない、ノートがない、食べ物がない状態になった。
「ほしがりませんかつまでは」のスローガンで裸足で学校に通っていた。
学校の行き帰りに磁石を引っ張って鉄屑を拾っていた。どの児童も骨と皮だけになっていた。
空襲警報が出ると2000名の児童が運動場に集まる。
空襲があると、目が飛び出ないようにまぶたを押さえ、爆風で内蔵などが外に出ないように口を開けるように指示されていた。
防空壕の前には爆風除けがあった。でも、原爆に対しては無力だった。
兄は教員だったが志願して特攻隊員となった。
兄は、「お兄ちゃんはきっと帰って来れないから、この爪をお骨と思ってくれ」と言って私に切った爪を渡して出征して行った。
私は兄ちゃん行かないでという思いだった。手がなくなってもいい、足がなくなってもいいから帰ってきて欲しいと訴えた。
しばらくすると戦死の通知がきた。
戦死を伝えにきた係りの人が「おめでとうございます」と言った。私は何で人が死んでめでたいのかと聞くと、「多くの人が助かるために死ぬのだからめでたいのだ」と説明した。私はそれを聞いて泣いた。骨箱の中は空っぽだった。
2番目の兄は昼は学徒動員で軍需工場で働き、夜は医者になるための勉強をしていた。
姉の夫も、幼い子を残して特攻で戦死した。
2000名の児童の内500名は疎開した。
毎日のように防空壕に入っていた。
防空壕の中では腹を空かせた赤ちゃんが泣く。すると、軍人が「敵に聞こえたらどうする」と怒鳴り、その母親は赤ちゃんの口を手で塞いだ。その赤ちゃんは窒息死した。
8月6日、空襲警報で防空壕で寝ていた。しばらくすると空襲警報が解除された。その時、広島で原爆が落とされた。それを知らなかった私達は空襲警報解除に喜んで家に帰った。
久しぶりに家族が揃ったので白いご飯が食べたいと子ども達は言い出し、
母親は闇米を買いに行った。8月7日に母親はお米を腹に巻きつけて帰って来た。
兄が「広島に新しい爆弾が落とされたらしい。空襲警報が解除になってもすぐに防空壕から出てはいけない」と話した。
8月9日、空襲警報が鳴り、私は姉の子を連れて防空壕に入った。空襲警報が解除になったので、防空壕から出ると、妹が「兄ちゃんが解除になっても出たらダメっていったでしょう」と言い、私は姉の子を連れてもう一度防空壕に戻った。その時、防空壕の中には自分たちと4、5人しかいなかった。
その直後、ピカーっと光り、爆風で壕の奥に吹き飛ばされ気絶した。ドーンという音は気絶していたので聞いていない。
気が付くと防空壕の中は人が溢れ、真っ黒に焦げた人や皮膚が焼けただれて両手を前にフラフラした人達ばかり。
私は恐ろしくて「母ちゃん助けて、母ちゃん助けて」と叫んでいた。
妹を探そうと「りょうこちゃん」と叫ぶと、奥の方で気絶していた妹が気づいた。
妹に近寄ろうと寝ている大人を跨ぐと、ズブズブと足がはまっていった。
姉の子は畳と岩の間に挟まっていた。
壕の外に出ると見渡すかぎり何もなく、遠くに壊れた浦上天主堂。その間には真っ黒に焦げた死体が累々と転がっていた。
川にはたくさんの人が集まっていたが、川にたどり着く前に息絶えた人、川に顔を突っ込んで死んでいる人。
家のあとに行くと、真っ黒焦げの死体があり、ひっくり返すと辛うじて姉だと分かった。母はとうとう分からなかった。
そこに敵機が来たので、防空壕に行くと人が溢れるて入れず、岩の陰に隠れていた。
そこに這うようにして焼けただれた兄が来た。しかし、私は眠くてたまらず眠ってしまい、目が覚めると兄は冷たくなっていた。
助かったのは、私と妹と姉の子(1歳)だけ。
夜になると死体から光が出ていた。それが恐ろしかった。
親戚に引き取られた。
髪の毛が抜け、鼻血がダラダラと抜け、血便が出るようになった。
病院に行くと私と妹は隔離された。
2-3日で帰されたが、学校では「うつる」と言ってイジメられた。
妹は、こんな思いをするなら長崎に帰ろうと言ってきかず、長崎に帰った。
長崎では、朝鮮の人達と川原にトタンでバラックを建てて暮らした。
進駐軍が捨てた残飯を拾って朝鮮の人達と食べた。
授業中は、姉の子を学校の校庭の木に括り付けていた。
中学生になると、自殺する学生が増えてきた。
夜、妹の体からグジグジ音がする。見ると、ウジ虫が妹の腹を這い回っていた。
あおれでも病院に行くお金がない。つける薬もない。
ある日、妹は「こげん苦しいんやったら母ちゃんとこに行こう」と。私はダメだと言った。
学校から帰ると、妹が列車に飛び込んで死んだ。
頭は転がって行き、足と腕は千切れ、ウジ虫がわいている胴体だけが残っていた。
そのウジ虫で妹だと分かった。
自分も死のうと思い、蒸気機関車に飛び込もうとしたが怖くてできなかった。
高校生の時に、お金がなくて病院にすら行けない自分たちの苦しさを国会議員に訴えようと饅頭を売って旅費を貯めて国会に行った。多くの議員は私達を見ると逃げて行った。自民党の議員達は「あれはアメリカがやったことだから関係ない」と。そこで、共産党の議員に会いにいくと、被爆者のおかれた実情に驚かれ、何とかしなければと、署名を集めてくるようにとアドバイスをしてくれた。それから被爆者の署名を集めて回った。
その結果、昭和32年に被爆者手帳ができた。
こういう思いは私達だけで十分です。
生きていて良かったと思います。でも、放射線は私の体を蝕み、子宮や卵巣、その他の内蔵を摘出した。
子どもや女性に原爆を落とすことに正当な理由はない。
核兵器がある限り真の平和は訪れません。
アメリカでもイギリスでも、フランス、スペイン、色々なところに行って訴えた。
日本から世界に向かって核兵器廃絶、戦争放棄を伝えていかなければ。
でも、今の日本は国防軍を作ろうとしている。
「過去に目を瞑る者は未来にも盲目である」というワイツゼッカー(ドイツ首相)の言葉はそのとおりだと感じる。
平和とは人の痛みを分かるを持つこと。
この苦しみは私達で十分です。憲法9条を守って行って下さい。
安倍総理は怖い。
平和憲法は変えちゃいけない。非核三原則を法制化して欲しい。
憲法9条をなくせば、人類はなくなってしまう。
被爆日本から憲法9条を発信していかなければならない。
憲法9条を子や孫に伝えて行きたい。平和を願う心のバトンを渡して行く。
午前中長崎原爆資料館を見学。
午後は長崎原爆資料館で下平作江さんからお話を伺いました。
その後、被害の歴史だけでなくこの国の加害の歴史を学ぶために岡まさはる記念長崎平和資料館を見学しました。
以下は下平さんのお話しを聴きながら打った僕のメモ。
昭和9年に満州で生まれた。
父は満鉄勤務。
3歳の時、父は現地で殺された。
叔父が長崎に連れて帰ってくれた。
長崎市駒場町(現、松山町)で暮らしていた。
昭和16年、城山国民学校入学。
この年、太平洋戦争突入。
その内、靴がない、ノートがない、食べ物がない状態になった。
「ほしがりませんかつまでは」のスローガンで裸足で学校に通っていた。
学校の行き帰りに磁石を引っ張って鉄屑を拾っていた。どの児童も骨と皮だけになっていた。
空襲警報が出ると2000名の児童が運動場に集まる。
空襲があると、目が飛び出ないようにまぶたを押さえ、爆風で内蔵などが外に出ないように口を開けるように指示されていた。
防空壕の前には爆風除けがあった。でも、原爆に対しては無力だった。
兄は教員だったが志願して特攻隊員となった。
兄は、「お兄ちゃんはきっと帰って来れないから、この爪をお骨と思ってくれ」と言って私に切った爪を渡して出征して行った。
私は兄ちゃん行かないでという思いだった。手がなくなってもいい、足がなくなってもいいから帰ってきて欲しいと訴えた。
しばらくすると戦死の通知がきた。
戦死を伝えにきた係りの人が「おめでとうございます」と言った。私は何で人が死んでめでたいのかと聞くと、「多くの人が助かるために死ぬのだからめでたいのだ」と説明した。私はそれを聞いて泣いた。骨箱の中は空っぽだった。
2番目の兄は昼は学徒動員で軍需工場で働き、夜は医者になるための勉強をしていた。
姉の夫も、幼い子を残して特攻で戦死した。
2000名の児童の内500名は疎開した。
毎日のように防空壕に入っていた。
防空壕の中では腹を空かせた赤ちゃんが泣く。すると、軍人が「敵に聞こえたらどうする」と怒鳴り、その母親は赤ちゃんの口を手で塞いだ。その赤ちゃんは窒息死した。
8月6日、空襲警報で防空壕で寝ていた。しばらくすると空襲警報が解除された。その時、広島で原爆が落とされた。それを知らなかった私達は空襲警報解除に喜んで家に帰った。
久しぶりに家族が揃ったので白いご飯が食べたいと子ども達は言い出し、
母親は闇米を買いに行った。8月7日に母親はお米を腹に巻きつけて帰って来た。
兄が「広島に新しい爆弾が落とされたらしい。空襲警報が解除になってもすぐに防空壕から出てはいけない」と話した。
8月9日、空襲警報が鳴り、私は姉の子を連れて防空壕に入った。空襲警報が解除になったので、防空壕から出ると、妹が「兄ちゃんが解除になっても出たらダメっていったでしょう」と言い、私は姉の子を連れてもう一度防空壕に戻った。その時、防空壕の中には自分たちと4、5人しかいなかった。
その直後、ピカーっと光り、爆風で壕の奥に吹き飛ばされ気絶した。ドーンという音は気絶していたので聞いていない。
気が付くと防空壕の中は人が溢れ、真っ黒に焦げた人や皮膚が焼けただれて両手を前にフラフラした人達ばかり。
私は恐ろしくて「母ちゃん助けて、母ちゃん助けて」と叫んでいた。
妹を探そうと「りょうこちゃん」と叫ぶと、奥の方で気絶していた妹が気づいた。
妹に近寄ろうと寝ている大人を跨ぐと、ズブズブと足がはまっていった。
姉の子は畳と岩の間に挟まっていた。
壕の外に出ると見渡すかぎり何もなく、遠くに壊れた浦上天主堂。その間には真っ黒に焦げた死体が累々と転がっていた。
川にはたくさんの人が集まっていたが、川にたどり着く前に息絶えた人、川に顔を突っ込んで死んでいる人。
家のあとに行くと、真っ黒焦げの死体があり、ひっくり返すと辛うじて姉だと分かった。母はとうとう分からなかった。
そこに敵機が来たので、防空壕に行くと人が溢れるて入れず、岩の陰に隠れていた。
そこに這うようにして焼けただれた兄が来た。しかし、私は眠くてたまらず眠ってしまい、目が覚めると兄は冷たくなっていた。
助かったのは、私と妹と姉の子(1歳)だけ。
夜になると死体から光が出ていた。それが恐ろしかった。
親戚に引き取られた。
髪の毛が抜け、鼻血がダラダラと抜け、血便が出るようになった。
病院に行くと私と妹は隔離された。
2-3日で帰されたが、学校では「うつる」と言ってイジメられた。
妹は、こんな思いをするなら長崎に帰ろうと言ってきかず、長崎に帰った。
長崎では、朝鮮の人達と川原にトタンでバラックを建てて暮らした。
進駐軍が捨てた残飯を拾って朝鮮の人達と食べた。
授業中は、姉の子を学校の校庭の木に括り付けていた。
中学生になると、自殺する学生が増えてきた。
夜、妹の体からグジグジ音がする。見ると、ウジ虫が妹の腹を這い回っていた。
あおれでも病院に行くお金がない。つける薬もない。
ある日、妹は「こげん苦しいんやったら母ちゃんとこに行こう」と。私はダメだと言った。
学校から帰ると、妹が列車に飛び込んで死んだ。
頭は転がって行き、足と腕は千切れ、ウジ虫がわいている胴体だけが残っていた。
そのウジ虫で妹だと分かった。
自分も死のうと思い、蒸気機関車に飛び込もうとしたが怖くてできなかった。
高校生の時に、お金がなくて病院にすら行けない自分たちの苦しさを国会議員に訴えようと饅頭を売って旅費を貯めて国会に行った。多くの議員は私達を見ると逃げて行った。自民党の議員達は「あれはアメリカがやったことだから関係ない」と。そこで、共産党の議員に会いにいくと、被爆者のおかれた実情に驚かれ、何とかしなければと、署名を集めてくるようにとアドバイスをしてくれた。それから被爆者の署名を集めて回った。
その結果、昭和32年に被爆者手帳ができた。
こういう思いは私達だけで十分です。
生きていて良かったと思います。でも、放射線は私の体を蝕み、子宮や卵巣、その他の内蔵を摘出した。
子どもや女性に原爆を落とすことに正当な理由はない。
核兵器がある限り真の平和は訪れません。
アメリカでもイギリスでも、フランス、スペイン、色々なところに行って訴えた。
日本から世界に向かって核兵器廃絶、戦争放棄を伝えていかなければ。
でも、今の日本は国防軍を作ろうとしている。
「過去に目を瞑る者は未来にも盲目である」というワイツゼッカー(ドイツ首相)の言葉はそのとおりだと感じる。
平和とは人の痛みを分かるを持つこと。
この苦しみは私達で十分です。憲法9条を守って行って下さい。
安倍総理は怖い。
平和憲法は変えちゃいけない。非核三原則を法制化して欲しい。
憲法9条をなくせば、人類はなくなってしまう。
被爆日本から憲法9条を発信していかなければならない。
憲法9条を子や孫に伝えて行きたい。平和を願う心のバトンを渡して行く。
posted by 後藤富和 at 18:48| 平和
2013年09月30日
被爆者の意見陳述
9月27日に行われた原発なくそう!九州玄海訴訟の弁論期日において意見陳述を行った被爆者の川原進さんの発言の全文を以下に貼付します。
これから、私が、玄海原発を止めようというこの訴訟の原告になった理由を、ピカドンを受けた私の生い立ちから述べさせていただきます。
1 私とピカドン
私は、昭和19年12月30日、長崎市大黒町で生まれました。三人きょうだいで姉が二人います。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、疎開先の時津の借家の庭先で母が洗濯物を干しているのを二人の姉と一緒に縁側で見ていたとき、ピカドンのせんこうと爆風を受けました。母は庭に倒れ、私達は縁側から玄関まで吹き飛ばされたので、母は直ぐに私達に毛布をかぶせたそうです。
それから二日後、祖父と母は、本原一丁目にある叔父の家に預けていた物を受け取り、それから実家のある大黒町に家財を取りに、私と姉も連れて行きました。私達は、放射能が含まれたちりとほこりの中、爆心地である松山の直ぐそばを通ったそうです。その後も、私達は、母に連れられ、何日も時津と大黒町を往復しました。
2 ピカドンと差別
私は、その後半年位してから、髪の毛が抜けてしまい、母は、それを周りの人から知られないように、防空頭巾を、翌年の夏頃、産毛が生えてくるまで取ることができなかったそうです。当時、私達の周囲には、髪の毛が抜けてしまった人が沢山おり、人々は、丸坊主になっていくのは、ピカドンのせいではないかと噂し、「あの人はピカドンで体質が変わりいろんな病気になる」「奇形児ができる」など、後ろ指をさしていたそうです。
3 ピカドンの秘匿
私は、昭和44年妻と結婚し、昭和49年、被爆者健康手帳の交付をうけました。私達夫婦には子供ができませんでした。昭和55年、私達は長崎に帰ってきて、母と同居を始めました。当時、私は、自分がピカドンを受けたことに無頓着で、妻に話したこともありませんでした。母も、母自身や私がピカドンを受けたことを知られたくなかったので、妻には私がピカドンを受けたことや被爆者健康手帳を取得していることを話したことはなかったと、ずいぶん後になって、やっと聞き出しました。それでも、ある時、母は妻に、「子供ができないのは息子のせいではないか」と、思わずもらしたそうです。
4 私の無頓着
私は、60歳で直腸ガンとなって直腸を摘出し、さらに、62歳で胃ガンとなり、手術をしなければならなくなりました。現在も通院しています。
私は、原爆症認定申請もしましたが、却下されました。その理由は、本当は8月11日長崎市に入ったのに、私の手帳には、被爆直後の行動として「8月15日 長崎市本原町1丁目入市」と虚偽の記載がされていたからでした。そうなったのは、私が、病気になるまで、ピカドンを受けたことについて無頓着だったからです。
5 ピカドンと原発
ところで、原発もいったん事故を起こせば、ピカドンと同じように放射能を広い範囲にまき散らし、内部被曝をひきおこします。例えば、今回福島で起こった原発事故によって、広い範囲で無差別に内部被曝が起きているはずです。私の住む長崎のすぐ隣にある玄海原発でいったん事故が起きれば、全く同じことが起きるかもしれないのです。私は、私の体験と、内部被曝を受けた人達の今後の体験とが重なるように見えるのです。ピカドンを受けた一人として、今は分からないが、長い年月が経った後、ヒロシマ・ナガサキが苦しんで来たように、同じ事が起こるのではないかと恐ろしいのです。
6 ピカドンも原発もない「核なき世界」へ
私は、被爆国日本が原点に戻り、ピカドンも原発もない「核なき世界」のリーダーシップを取って欲しいのです。ところが、核不拡散条約再検討会議の準備委員会で核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかった日本政府に対し、賛同した国々の人々は驚いて唖然としたでしょう。核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しない限り、ピカドンも原発もない「核なき世界」を世界に訴えることは出来ないのです。
私の意見陳述も最後になりました。私達は、最後のヒバクシャであるべきだったのに、今、多くの人達が被曝をしています。いまだに、福島の原発事故の実態ですら明らかになっていないのです。私は、裁判という手段で真実を引出し、国と九州電力を相手方として、原発の危険性と不合理性を主張し、全ての原発をなくすため、まずこの玄海原発を止めることを強く訴えます。ピカドンも原発もない「核なき世界」を実現するために。
これから、私が、玄海原発を止めようというこの訴訟の原告になった理由を、ピカドンを受けた私の生い立ちから述べさせていただきます。
1 私とピカドン
私は、昭和19年12月30日、長崎市大黒町で生まれました。三人きょうだいで姉が二人います。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、疎開先の時津の借家の庭先で母が洗濯物を干しているのを二人の姉と一緒に縁側で見ていたとき、ピカドンのせんこうと爆風を受けました。母は庭に倒れ、私達は縁側から玄関まで吹き飛ばされたので、母は直ぐに私達に毛布をかぶせたそうです。
それから二日後、祖父と母は、本原一丁目にある叔父の家に預けていた物を受け取り、それから実家のある大黒町に家財を取りに、私と姉も連れて行きました。私達は、放射能が含まれたちりとほこりの中、爆心地である松山の直ぐそばを通ったそうです。その後も、私達は、母に連れられ、何日も時津と大黒町を往復しました。
2 ピカドンと差別
私は、その後半年位してから、髪の毛が抜けてしまい、母は、それを周りの人から知られないように、防空頭巾を、翌年の夏頃、産毛が生えてくるまで取ることができなかったそうです。当時、私達の周囲には、髪の毛が抜けてしまった人が沢山おり、人々は、丸坊主になっていくのは、ピカドンのせいではないかと噂し、「あの人はピカドンで体質が変わりいろんな病気になる」「奇形児ができる」など、後ろ指をさしていたそうです。
3 ピカドンの秘匿
私は、昭和44年妻と結婚し、昭和49年、被爆者健康手帳の交付をうけました。私達夫婦には子供ができませんでした。昭和55年、私達は長崎に帰ってきて、母と同居を始めました。当時、私は、自分がピカドンを受けたことに無頓着で、妻に話したこともありませんでした。母も、母自身や私がピカドンを受けたことを知られたくなかったので、妻には私がピカドンを受けたことや被爆者健康手帳を取得していることを話したことはなかったと、ずいぶん後になって、やっと聞き出しました。それでも、ある時、母は妻に、「子供ができないのは息子のせいではないか」と、思わずもらしたそうです。
4 私の無頓着
私は、60歳で直腸ガンとなって直腸を摘出し、さらに、62歳で胃ガンとなり、手術をしなければならなくなりました。現在も通院しています。
私は、原爆症認定申請もしましたが、却下されました。その理由は、本当は8月11日長崎市に入ったのに、私の手帳には、被爆直後の行動として「8月15日 長崎市本原町1丁目入市」と虚偽の記載がされていたからでした。そうなったのは、私が、病気になるまで、ピカドンを受けたことについて無頓着だったからです。
5 ピカドンと原発
ところで、原発もいったん事故を起こせば、ピカドンと同じように放射能を広い範囲にまき散らし、内部被曝をひきおこします。例えば、今回福島で起こった原発事故によって、広い範囲で無差別に内部被曝が起きているはずです。私の住む長崎のすぐ隣にある玄海原発でいったん事故が起きれば、全く同じことが起きるかもしれないのです。私は、私の体験と、内部被曝を受けた人達の今後の体験とが重なるように見えるのです。ピカドンを受けた一人として、今は分からないが、長い年月が経った後、ヒロシマ・ナガサキが苦しんで来たように、同じ事が起こるのではないかと恐ろしいのです。
6 ピカドンも原発もない「核なき世界」へ
私は、被爆国日本が原点に戻り、ピカドンも原発もない「核なき世界」のリーダーシップを取って欲しいのです。ところが、核不拡散条約再検討会議の準備委員会で核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかった日本政府に対し、賛同した国々の人々は驚いて唖然としたでしょう。核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しない限り、ピカドンも原発もない「核なき世界」を世界に訴えることは出来ないのです。
私の意見陳述も最後になりました。私達は、最後のヒバクシャであるべきだったのに、今、多くの人達が被曝をしています。いまだに、福島の原発事故の実態ですら明らかになっていないのです。私は、裁判という手段で真実を引出し、国と九州電力を相手方として、原発の危険性と不合理性を主張し、全ての原発をなくすため、まずこの玄海原発を止めることを強く訴えます。ピカドンも原発もない「核なき世界」を実現するために。
posted by 後藤富和 at 06:50| 環境
明日のterra cafe kenpou
毎週火曜日19時から天神3丁目の光円寺門徒会館で行っている憲法学習会「terra cafe kenpou」ですが、明日は「戦争で奪われる命と過労死で奪われる命…その根っこは同じ!」と題し、井下顕弁護士に労働問題と戦争についてお話してもらいます。
お友達をお誘い合わせの上、ご参加ください。
始めての方も大歓迎です!
日時 10月1日(火)19時-21時
会場 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3丁目)
講師 井下顕(弁護士)
お問い合わせ 大橋法律事務所(担当 後藤)
http://www.ohashilo.jp/mail.html
お友達をお誘い合わせの上、ご参加ください。
始めての方も大歓迎です!
日時 10月1日(火)19時-21時
会場 光円寺門徒会館(福岡市中央区天神3丁目)
講師 井下顕(弁護士)
お問い合わせ 大橋法律事務所(担当 後藤)
http://www.ohashilo.jp/mail.html
posted by 後藤富和 at 19:03| 平和